手巾
本文約7,300字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
東京帝国法科大学教授の長谷川謹造は、ストリントベルクの劇論を読んでいる最中に、教え子の母である西山篤子の訪問を受ける。息子を亡くした悲しみを気丈に語る婦人の姿に、長谷川は武士道の精神を見出し感銘を受ける。しかし、後に読み返した劇論の中に、感情とは裏腹な演技を指す「手巾」という記述を見つけ、自身が賞賛した婦人の振る舞いと道徳の型との間で、複雑な疑念を抱きながら岐阜提灯を眺める様子を描く。
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東京帝国法科大学教授、長谷川謹造先生は、ヴエランダの籐椅子に腰をかけて、ストリントベルクの作劇術を読んでゐた。
先生の専門は、植民政策の研究である。従つて読者には、先生がドラマトウルギイを読んでゐると云ふ事が、聊、唐突の感を与へるかも知れない。が、学者としてのみならず、教育家としても、令名ある先生は、専門の研究に必要でない本でも、それが何等かの意味で、現代学生の思想なり、感情なりに、関係のある物は、暇のある限り、必一応は、眼を通して置く。現に、昨今は、先生の校長を兼ねてゐる或高等専門学校の生徒が、愛読すると云ふ、唯、それだけの理由から、オスカア・ワイルドのデ・プロフンデイスとか、インテンシヨンズとか云ふ物さへ、一読の労を執つた。さう云ふ先生の事であるから、今読んでゐる本が、欧洲近代の戯曲及俳優を論じた物であるにしても、別に不思議がる所はない。何故と云へば、先生の薫陶を受けてゐる学生の中には、イブセンとか、ストリントベルクとか、乃至メエテルリンクとかの評論を書く学生が、ゐるばかりでなく、進んでは、さう云ふ近代の戯曲家の跡を追つて、作劇を一生の仕事にしようとする、熱心家さへゐるからである。
先生は、警抜な一章を読み了る毎に、黄いろい布表紙の本を、膝の上へ置いて、ヴエランダに吊してある岐阜提灯の方を、漫然と一瞥する。不思議な事に、さうするや否や、先生の思量は、ストリントベルクを離れてしまふ。その代り、一しよにその岐阜提灯を買ひに行つた、奥さんの事が、心に浮んで来る。先生は、留学中、米国で結婚をした。だから、奥さんは、勿論、亜米利加人である。が、日本と日本人とを愛する事は、先生と少しも変りがない。殊に、日本の巧緻なる美術工芸品は、少からず奥さんの気に入つてゐる。従つて、岐阜提灯をヴエランダにぶら下げたのも、先生の好みと云ふよりは、寧、奥さんの日本趣味が、一端を現したものと見て、然る可きであらう。