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TORENDIA

桜の花

本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

春の雨あがりに一気に開花し、短い期間に白熱した生命の燃焼を見せる桜の姿を綴る。また、徳川末期に炭三俵を一度に燃やして束の間の豪奢な暖かさを楽しんだ画家・小島老鉄のエピソードを紹介する。花自らが生命の昂揚であり、次世代への継承よりも今この瞬間の輝きを大切にする桜の気持と、平凡な日々の積み重ねよりも強烈な経験の躍進を求めた老鉄の生き方を重ね合わせ、両者の共通する人生の態度を論じる随筆である。

薄田泣菫

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🎧 桜の花 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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桜こそは、春の花のうちで表現の最もすぐれたものの一つであります。しとしとと降り暮らす春の雨の冷たさに、やや紅みを帯びて悲しさうにうなだれた莟といふ莟が、一夜のうちに咲き揃つて、雨あがりの金粉をふり撒いたやうな朝の日光のなかで、明るくほがらかに笑つてゐる花の姿は、多くの植物に見るやうな、莟から花への発展といふよりも、むしろすばらしい跳躍であります。感激といふよりも、驚異であります。第二楽章なしに直に第三楽章への躍進であり、表現と高興との中心への侵入であります。蘇へる生命の歓びに、やつと新芽を吹いたばかりの草も、木も、饒舌家の小鳥も、沈黙家の獣も、さすらひ人の蝸牛も、地下労働者のもぐらもちも、みんな魔術にでもかかつたやうに、いい気持になつて夢を見てゐるなかに、この桜の花のみは、ながい三春の歓楽を僅二日三日の盃に盛つて、そこに白熱した生命の燃焼と豪奢の高興とを味ひつくさうとするのであります。恋をするものは、道を歩くにも決して後をふり向かないといひます。むかしの詩人は、

さまざまの事思ひ出す桜かな

といひましたが、それはその詩人自らの追想であつて、桜には何の追想もありません。追想するほど自分とかけ離れた自分を持たないからであります。張りきつた恋愛の激情には、子女の繁殖など思ふ余裕はありません。それ故に桜の花は、梅や杏のやうに実らしい実を結ばうとはしません。花自らが生命の昂揚であり、燃焼でありますから、それが他の花から見て、若き日の徒費であらうと、少しも構はないのであります。

むかし徳川の末、たしか弘化の頃であつたと思ひます。名古屋に山本梅逸の弟子で、小島老鉄といつた画家がありました。古寺の閻魔堂のかたはらに、掘立小屋のやうな小やかな庵を結んで、乞食にも劣つた貧しい生活のなかにも、蘭の花のやうな清く高い心持を楽んでゐました。ある冬の事、あまりの寒さつづきに、小屋掛の身はどんなに凌ぎ難からうと、親切にもわざわざ炭三俵を送つてよこした友達がありました。老鉄はそれを見ると大層喜びました。

「折角の志ぢや。火をおこしてすぐに煖まるとせう。」

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