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TORENDIA

硯と殿様

本文約630字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

犬養木堂が語った硯の逸話を綴る。徳川末期、印刻家の鶴笑道人が所有する「天然研」という硯を、阿波の殿様が自身の秘蔵品七枚と交換したいと執拗に熱望する。手放すことを拒む鶴笑が、阿波の国半分との交換を冗談めかして提示すると、殿様は硯と鳴門の瀬戸は自分の力には及ばないものだと悟り、諦める。所有欲に駆られる殿様と、愛着ある品を守ろうとする職人との滑稽なやり取りと、人の執着が冷静な判断によって消える様を描く。

薄田泣菫

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🎧 硯と殿様 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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犬養木堂の硯の話は、あの人の外交談や政治談よりはずつと有益だ。その硯については面白い話がある。徳川の末期に鶴笑道人といふ印刻家があつた。硯の善いのを沢山持ち合せてゐたが、その一つに蓋に大雅堂の筆で「天然研」と書いたのがあつた。阿波の殿様がそれを見て、自分の秘蔵の研七枚までも出すから、取り替ては呉れまいかとの談話があつたが、鶴笑はなか/\諾とは言はなかつた。

呉れぬ物が猶ほ欲しくなるのは、殿様や子供の持つて生れた性分で、阿波の殿様は、望みとあらば何でも呉れてやらうから、達て「天然研」を譲つて貰ひたいと執念く持ちかけて来た。鶴笑は一寸顔を顰めた。

「ぢや仕方が無い、阿波の国半分だけ戴く事にしませう。」

と切り出した。鶴笑の積りではそれでも大分見切つた上の申出らしかつた。何故といつて阿波の国は半分割いた処で、別段差支もなかつたが、硯だけは半分に割つては何うする事も出来なかつた。あの内閣や政党を毀す事の大好きな木堂ですら「鋒」とやらを見るためには、硝酸銀で硯を焼かなければならぬ、そんな勿体ない事が出来るものぢやないといつてゐる位だから。

だが勘定高い殿様はそれを聞くと、

「仕方がない、この硯と鳴門の瀬戸は俺の力にも及ばぬものと見えるて。」

と、溜息を吐いてあきらめた。殿様がこの場合鳴門の瀬戸を思ひ出したのは賢い方法で、人間の力で自由にならないものは沢山あるのだから、その中からどんな物を引合ひに出さうと自分の勝手である。かうして絶念がつけばそんな廉価な事は無い筈だ。

完

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