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TORENDIA

狢

本文約820字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

幕末の紀の国坂で、ある商人が泣いている若い女に出会う。身投げを思いとどまらせようと近づき、女の肩に触れて顔を覗き込むと、その顔には目も鼻もないのっぺら坊の正体が現れる。驚いて逃げ出した商人が四谷の夜鷹蕎麦の屋台へ駆け込み、そこで出会った親爺に事の次第を訴えるが、その親爺もまた顔のない姿を見せる。紀の国坂に棲む狢が引き起こす怪異と、それに翻弄される男の恐怖を描く。

田中貢太郎

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🎧 狢 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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幕末の話である。

某商人が深更に赤坂の紀の国坂を通りかかった。左は紀州邸の築地塀、右は濠。そして、濠の向うは彦根藩邸の森々たる木立で、深更と言い自分の影法師が怖くなるくらいな物淋しさであった。ふと濠傍の柳の木の下にうずくまっている人影に気づいた。

どうやら若い女のようで、悄然と袂に顔をうずめて泣いているのであった。商人はてっきり身投げ女だと思った。驚かさないようにして女の傍へ寄って往った。

「どうかしたのかい、姉さん。狭い量見を起しちゃいけないよ」

女は顔もあげないでしくしくと泣きつづけた。商人は寄り添って腰をかがめた。

「ね、どうしたんだい。姉さん思案にあまることがあるなら、いくらでも力になってやるよ、わけを言って見な」

女はますます袂へ顔をうずめて泣き入るばかりであった。商人はじれったくなって女の肩へ手をかけた。

「どうしたのだ、姉さん、人が親切に言ってるのだ、わけを言ったらいいじゃないか」

女はひょいと袂から顔をあげた。それは目も鼻も何もないのっぺら坊であった。

「わ」

商人は一声叫ぶなり坂を四谷の方へ逃げあがった。あがったところに夜鷹蕎麦の灯があった。商人は鞴のような呼吸と同時にその屋台へ飛びこんだ。

「大変だ、大変だ」

「どうなすったかね」

もやもやと立つ湯気の向うにいる親爺はつまらなさそうに言った。

「どうもこうもありゃしねえ、そこで大変な代物に衝っ突かったんだい」

「追剥にでもお会いなすったかね、当世珍らしくもねえ話だ」

「馬鹿にするな、追剥ぐらいで江戸っ児が騒ぐかい。妖怪に会ったんだい、大変な顔をしてやがったのだ」

「へ、大変な顔、どんな大変な顔でござんした」

「それがおめえ、恐ろしいの何のって、とても一口にゃ言えやしない」

「こんな顔じゃなかったかね」

親爺はぴしゃりと額を一つ打つなり湯気の間から顔を出した。目も鼻も何もないのっぺら坊だった。

商人は気を失った。その頃紀の国坂一帯には狢が数多棲んでいて、よく悪戯をしたと言われている。

完

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