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TORENDIA

貝殻追放

本文約6,500字 ・ 読了時間 約13分

あらすじ(AIが作成しました)

泉鏡花の作品に魅了された二人の愛読者の体験を通じ、書物への執心と文学的感銘を綴る随筆。著者は古本屋の店先で見つけた希少本を巡る自身の悔恨の失敗談と、知人の梶原が貧困の中で切望した書籍をようやく手に入れた喜びの逸話を紹介する。一時代の流行を超越し、読者の感情を強く揺さぶる至純の美を持つ鏡花芸術の偉大さを論じつつ、愛読者特有の異常なまでの愛着や執念を鮮明に描き出している。

水上瀧太郎

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吾々の時代の多過ぎる程多數の作家の中で、古典として尊重せらるべき作品を後世に殘す人が幾人あるかを想ふ度に、自分は自分自身をも含ませてなさけ無い心持になるのを禁じる事が出來無い。

十數年前、文藝上の新しい主義が海外から移入された頃、その主義宣傳の運動に携はつた者は、政黨政派の爭のやうに黨同伐異を事としたが、年月がたつて彌次馬に特有の興奮状態から覺醒した時、初めて彼等は自分達の値うちを意識し、或は意識させられた。或者は生れ故郷の土臭い田舍に歸り、或者は偉大なる都市の包容力を幸にして何處かに影を潛めてしまつた。近く更に新しい主義を提唱した一派は、投書家相手の雜誌に擔がれて、精神に異状を呈した者の屡々經驗する喜悦の極、足は地上を離れて天へも昇るやうな有頂天の心状に陷り、自分達丈は疑も無く生れながら惠まれた者であり、止る處を知らぬ力の進展を自己の内に認めるものだと世の中を憚らず公言したが、遠き將來はいざしらず、少くとも今日に於ては嘲笑の中に葬むられんとする状態である。

さういふ中にあつて、その主義傾向の如何を問はず、ほんとに僅少の作家ばかりが永久性を持つて居るのであるが、些かの疑も無く第一に指を屈すべきは泉鏡花先生である。

救ふ可らざる沒分曉漢は別として、多少なりとも文藝の作品に親しみを持つ人は、その主義や趣味の相違から慊らず思ふ點はあるに違ひ無いが、何れにしても泉先生の作品が古典として殘ることを疑ふ者はあるまいと思ふ。かう云ふ自分自身さへ先生の作品に慊らぬ節が無いとは云へない。例之世間の誰も彼も口を揃へて讚美し、全體としての作品には感心しない人さへこればかりは激稱する絢爛を極めた先生の文章の如き、自分は稀なる名文だと思ふと同時に、時にふと天下の惡文では無いだらうかと疑ふ事がある。先生の作品の愛讀者の多くが隨喜する所謂江戸趣味も自分は眉をひそめ度い。

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