貝殻追放
本文約10,300字 ・ 読了時間 約21分
あらすじ(AIが作成しました)
文学を志す甲種商業学校の少年が、ある文学者を「先生」と呼び突然訪問する。以来、執筆した原稿を携えて現れる少年に、文学者は戸惑いながらも助言を与えるようになる。卒業後、進学を望む少年と、実業への従事を求める母親との間で葛藤が生じ、文学者はその板挟みとなって奔走することになる。芸術の道と現実的な生活、そして周囲の期待の間で揺れ動く若者の姿と、それに翻弄される文学者の困惑を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
或日曜の朝の事であつた。寢坊をした床の中でぼんやりして、起きようか寢てゐようか迷ひながら、枕頭の火鉢の上の鐵瓶の口から、さかんに立昇る湯氣を見てゐるところに、こまつちやくれの下宿の小婢が、來客のある事を告げに來た。その取次いだ名前が昔の學校友達のそれと同一だつたので、自分は一緒に惡戲つ子だつた中學時代の友達の、今川燒のやうにまあるく平べつたくて、しかもぶよぶよしてゐた顏中を想ひ出しながら、狼狽てて飛起きて洗面場に馳けて行つた。
身じまひをして、玄關に出て見ると、其處にはまだ十八九の見馴れない少年が一人ゐるばかりだつた。側に立つてゐる小婢に、
「お客は。」
と訊くと、
「そのお方です。」
と指差した。
「先生ですか。」
少年は意外だつたといふ表情を包まずに、此方を見上げてから帽子を取つて頭をさげた。
「お上んなさい。」
先生と呼びかけられた自分を、けげんさうに見守つてゐる小婢の目を避けるやうに、心中少し狼狽しながら、さつさと先に立つて自分の室に少年を導いた。先生と呼ばれた丈で、何の爲めに此の少年が自分を訪問したか、彼が如何なる種類の人間であるかが直感された。自分は寧ろ不機嫌で、相手の態度を見守つた。
少年は一見不良少年らしい沈着さで、初對面の年長者の前で、惡びれもしずに煙草をふかしたが、紺がすりの着物に紺がすりの羽織で、海老茶の毛糸で編んだ羽織の紐が如何にも子供らしかつた。
「私を訊ねて來たのは如何いふ御用です。」
と自分の方から切出した。
「實は朝日新聞の○○さんが、先生を紹介してやらうと云うて下さつたので……」
「○○さん?」
自分はいくら考へてもそんな人は知らなかつた。
少年の云ふところに據ると、○○といふのは大阪朝日新聞の社會部の記者であるが、少年が文學に熱中して、文學談ばかり持ちかけるので、それでは此頃大阪に來てゐる水上に紹介してやらうと云つて、下宿の所在迄教へて呉れたのださうだ。どうしても自分にはそんな知己は無いので、腑に落ちない話だつたが、例の新聞記者一流の出たらめをやつたんだなと思つて苦笑するより他に爲方が無かつた。