鬱屈禍
本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
帝大新聞の編集者から「最近の文学を毒するもの」という題で寄稿を依頼された筆者が、ジイドの芸術論を引用しつつ、自らの小説が伸び悩む原因を考察する。大芸術家は障害を創作の踏切台にするというジイドの教えに対し、筆者は反発しつつも、結局は自身の心中にこそ克服すべき敵が存在すると洞察する。創作への苦悩と執筆のあり方を、ジイドの言葉を介して内省的に綴った一編。
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この新聞(帝大新聞)の編輯者は、私の小説が、いつも失敗作ばかりで伸び切っていないのを聡明にも見てとったのに違いない。そうして、この、いじけた、流行しない悪作家に同情を寄せ、「文学の敵、と言ったら大袈裟だが、最近の文学に就いて、それを毒すると思われるもの、まあ、そういったようなもの」を書いてみなさいと言って来たのである。
編輯者の同情に報いる為にも私は、思うところを正直に述べなければならない。
こういう言葉がある。「私は、私の仇敵を、ひしと抱擁いたします。息の根を止めて殺してやろう下心。」これは、有名の詩句なんだそうだが、誰の詩句やら、浅学の私には、わからぬ。どうせ不埒な、悪文学者の創った詩句にちがいない。ジイドがそれを引用している。ジイドも相当に悪業の深い男のようである。いつまで経っても、なまぐさ坊主だ。ジイドは、その詩句に続けて、彼の意見を附加している。すなわち、「芸術は常に一の拘束の結果であります。芸術が自由であれば、それだけ高く昇騰すると信ずることは、凧のあがるのを阻むのは、その糸だと信ずることであります。カントの鳩は、自分の翼を束縛する此の空気が無かったならば、もっとよく飛べるだろうと思うのですが、これは、自分が飛ぶためには、翼の重さを托し得る此の空気の抵抗が必要だということを識らぬのです。同様にして、芸術が上昇せんが為には、矢張り或る抵抗のお蔭に頼ることが出来なければなりません。」なんだか、子供だましみたいな論法で、少し結論が早過ぎ、押しつけがましくなったようだ。
けれども、も少し我慢して彼のお話に耳を傾けてみよう。ジイドの芸術評論は、いいのだよ。やはり世界有数であると私は思っている。小説は、少し下手だね。意あまって、絃響かずだ。彼は、続けて言う。