鯉
本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
五月の午後、帝国大学の池を眺めていた私は、旧友から学生時代の出来事を聞かされる。ある夜の気まぐれで池の大鯉を釣り上げようとした彼は、釣針を飲み込んだ鯉にステッキを奪われ、その後日々にステッキが池を動き回る怪異に悩まされる。時は流れ、冬の朝に池の岸辺でステッキと鯉の頭の骸骨を発見した彼は、それを埋めて供養する。私は大学の変容を惜しみつつ、かつて聞いたその憂鬱な記憶を文章として綴る。
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五月末の或る晴れやかな日の午後四時頃、私は旧友N君と一緒に、帝国大学の中の大きな池の南側にある、小高いテラースの上の、藤棚の下の石のベンチに腰掛けていた。池の周囲には新緑の茂みが、むせ返るような明るい色に盛上っていたが、低い水の面は薄すらと黒ずんで、ひょろ長い四五本の松をのせた小島が、夢のように浮んでいた。N君は吸いかけの煙草をふいに投げ捨てて、変に憂鬱な表情をしながら、次のようなことを話しだした。――
この池を見るのは随分久しぶりだな。……こうしてじっと池の面を眺めていると、僕は変に憂鬱なお伽噺の世界に引き入れられるような気がするよ。
え、憂鬱なお伽噺なんか僕にも似合わないって……。まあ聞き給え。僕は今まで誰にも話したことはないんだが、思い切って君にだけ、その憂鬱なお伽噺というのを聞かしてあげよう。
学生時代のことなんだ。僕は或る気まぐれから、この池の中の鯉を一匹捕えてやろうと思い立った。何故にそして何のために捕えるのか、そんなことは僕自身にだって分らない。ただ一時の気まぐれに過ぎなかったんだね。
そこで僕は或る晩、用意しておいた道具をマントの下に忍ばして、この池の縁までやって来た。道具というのは、大きな釣針を畳糸でステッキの先に結びつけたもの、蚯蚓数匹、大きな竹の筒、風呂敷一枚、それだけなんだ。僕の考えでは、鯉を一匹釣り上げたら、それを竹の筒の中に入れて動かないようにし、上から風呂敷に包んで、門衛の眼をくらましながら、うまく持ち出すつもりだった。
丁度今頃のことだ。新緑の香の籠ってる夜気を吸いながら、僕はあの大木の下の岩の上に腰を下して、黒々とした池の中に釣糸を垂れたものなんだ。