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TORENDIA

一つの愛情

本文約10,500字 ・ 読了時間 約22分

あらすじ(AIが作成しました)

人生と自分自身に嫌気を覚え、酒に溺れる日々を送る文学者・吉岡信一郎のもとに、葉山紀美子と名乗る女性から熱烈な手紙が届く。田舎に独居し、孤独と病苦の中で文学に救いを求める彼女の純粋で一徹な心に、吉岡は次第に心を動かされる。二人は文通を通じて交流を深めるが、やがて吉岡の娘が病死したのを機に彼女からの便りは途絶える。実体を見ぬまま、手紙を通じて育まれた二人の特殊な関係と、その記憶を描く。

豊島与志雄

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文学者のところには、未知の人々から、いろいろな手紙が舞い込んでくる。威勢よく投げこまれた飛礫のようなのもあれば、微風に運ばれてくる花の香のようなのもある。それらが、文学者自身の心境の如何によって、さまざまの作用をする。だが、返事を出すも出さぬも、それは彼の自由である。知らない人から突然もらった手紙だから、黙殺しても応答しても、一向に構わないわけだ。大抵の場合は返事を書かないらしいが、時によっては心やさしい返事を書くこともあるらしい。

文学者吉岡信一郎のところへ、或る時、美しい文字の手紙が届いた。彼はもう五十歳近くになっていて、たくさんの小説を書いてきたが、近来、なんとなく気力の衰えを自覚し小説もあまり書けず、人生、というよりも人間が嫌になり、ひいては自分自身にも嫌気がさし、うらぶれた気持ちに沈んで、酒ばかり飲んでいた。突然舞い込んで来た美しい文字の手紙も、いいかげんに読んで、打ち捨てておいたが、あとで、なにか心にかかるものを感じて、ゆっくり読みなおしてみたのである。

お暑さ容易に去りませぬ候、吉岡先生には御機嫌うるわしく御消光遊ばされましょうか。私事、身の程もかえりみませず、ぶしつけにもお手紙など差上げます愚かさを、どのようにか無礼とお怒り遊ばしましょう。

この世で一番おえらいと思い申上げております先生、御写真を朝夕眺めましては、いつの間にかひとりで、夢にでもよい、お言葉を頂ける身になれたらなどと、とりとめもない心に、只そればかりをはかない生き甲斐として、胸の奥深くに抱き続けてまいりました。

私は何もわからない人生の門出に於て、もはや健全な健康を失ってしまいました。それがどのように悲惨なことか。死にも死にきれぬ、生きも生ききれぬ、苦しい苦しい懊悩に、人知れず血の涙を流してまいりました。

肉体のわずかな重荷にも堪えきれぬ、心のわずかな苦痛にも堪えきれぬ、虫のように、白痴のように、何もなし得ぬ我身の不甲斐なさを、どのように辱と忍従で受け味わねばならぬことでございましょう。愚かしくゆがみちぢんだ哀れな魂を、自覚すればするほど、私はこの世の人の群から我身を後退さしてまいりました。

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