本文へ移動
TORENDIA

国文学の発生(第三稿)

本文約37,000字 ・ 読了時間 約75分

あらすじ(AIが作成しました)

まれびとは、古代の村々に海のかなたから時折訪れ、人々の生活を豊かにして還る神を指す語である。本作は、この神を迎える儀礼が民間伝承として残り、賓客をあしらう方式を胎んできた経緯や、常世の国への信仰、海から神が来訪すると信じた古代の生活様式を論じる。また、貴人の光来に伴う饗宴の儀礼や、氏の長者が受け継ぐ重器の意義についても考察し、日本古来の信仰と文学的変遷を辿る。

折口信夫

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 49

一 客とまれびとと

客をまれびとと訓ずることは、我が國に文獻の始まつた最初からの事である。從來の語原説では「稀に來る人」の意義から、珍客の意を含んで、まれびとと言うたものとし、其音韻變化が、まらひと・まらうどとなつたものと考へて來てゐる。形成の上から言へば、確かに正しい。けれども、内容――古代人の持つてゐた用語例――は、此語原の含蓄を擴げて見なくては、釋かれないものがある。

我が國の古代、まれの用語例には、「稀」又は「rare」の如く、半否定は含まれては居なかつた。江戸期の戲作類にすら、まれ男など言ふ用法はあるのに、當時の學者既に「珍客」の意と見て、一種の誇張修辭と感じて居た。

うづは尊貴であつて、珍重せられるものゝ義を含む語根であるが、まれは數量・度數に於て、更に少いことを示す同義語である。單に少いばかりでなく、唯一・孤獨などの義が第一のものではあるまいか。「あだなりと名にこそたてれ、櫻花、年にまれなる人も待ちけり(古今集)」など言ふ表現は、平安初期の創意ではあるまい。

まれびとの内容の弛んで居た時代に拘らず、此まれには「唯一」と「尊重」との意義が見えてゐる。「年に」と言ふ語がある爲に、此まれは、つきつめた範圍に狹められて、一囘きりの意になるのである。此「年にまれなり」と言ふ句は、文章上の慣用句を利用したものと見てさしつかへはない樣である。

上代皇族の名に、まろ・まりなどついたものゝあるのは、まれとおなじく、尊・珍の名義を含んでゐるのかと思ふ。繼體天皇の皇子で、倭媛の腹に椀子ノ皇子があり、欽明天皇の皇子にも椀子ノ皇子がある。又、用明天皇の皇子にも當麻公の祖麻呂子ノ皇子がある(以上日本紀)。而も繼體天皇は皇太子勾ノ大兄を呼んで「朕が子麻呂古」と言うて居られる(紀)。此から考へると、子に對して親しみと尊敬とを持つて呼ぶ、まれ系統の語であつたのが、固有名詞化したものであることが考へられる。まれびとも珍客などを言ふよりは、一時的の光來者の義を主にして居るのが古いのである。

くすり師は常のもあれど、珍人の新のくすり師 たふとかりけり。珍しかりけり(佛足石の歌)

折口信夫の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本