私の小説
本文約3,500字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
度重なる弁明の依頼に対し、作品は小説そのものに全てが語られているとして、著者自身の文学観を綴る。情痴作家という評価に対し、文学は読み手によって無数の解釈が成立するものであり、読者自身の教養や生き方が問われると論じる。さらに、自由には責任や地獄のような苦悩が伴うことを説き、自らの文学を、天竺を目指しながらも女怪に惑わされる猪八戒の忍術になぞらえて、その在り方を語る随筆である。
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近頃の編輯者は芸なしぞろひで、今年になつてから、私に、私の小説の弁明を書けと言つてきた新聞、雑誌が、合計二十ほどあるのである。新聞雑誌の数にくらべて二十は少い数なのか知らないが、たつた一ヶ月といふ短かい期間に、東西南北、別々の編輯室の窓の下で智恵をしぼつたあげくに、二十人の編輯者が同じ原稿をたのみにくるとは、無芸大食、大食は否応なしに封じられてゐるかも知れぬが、流線型といふ感じではない。
私は世間知らずで、書斎と一軒の居酒屋の外は知らないのだから、私はその時まで、私が情痴作家とよばれてゐることなど、知らなかつた。呆れたことには、女坂口安吾とよばれてゐる女流情痴作家がゐるといふフザケた話だから、私も遂にギョッとして、女舟橋は誰ですか、ときいたら、その編輯者は訝しげに目をまるくして、そんなのはゐません、といふ。私は、また、ギョッとした。
先着順に二つだけ書くことにして、二つ目がこの原稿なのだが、書きたくないからと断つても、暫くたつと、忘れたふりをしてやつてきて、悠々たるもの、さすがに堂々たる武者ぶり、新大阪は人材がゐますよ。
私は生れつきツキアヒの良い性分なので、先方が情痴作家ときめこんで来てくれてゐるのに、いやさうぢやない、私はプラトンの流れをくむアテナイの市民です、などといふアコギな扱ひはできないたちなのだ。
正直なところ、私は人の評判を全然気にかけてゐない。情痴作家、エロ作家、なんとでも言ふがいいのである。読む方の勝手だ。かう読め、ああ読めと、一々指図のできるものではないのだ。