本文へ移動
TORENDIA

娯楽奉仕の心構へ

本文約5,800字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の文学界や知識人が休養や娯楽を悪徳視し、文学を過度に深刻化させる傾向を論じる。芸術や娯楽は魂の糧であり、読者を面白がらせる戯作精神や話術は文学に不可欠であると説く。学問や文学を形式主義や衒学的な教養としてではなく、大衆に読み解かれるべきものと捉え、読者の休養に奉仕する職人としての誇りを提示する。娯楽を否定する因習的道徳こそが真に不健全であるとし、人間が娯楽を通じて魂を育む可能性を肯定的に考察する随筆。

坂口安吾

速度
🎧 娯楽奉仕の心構へ / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 7

いつぞや「近代文学」の人たちに、君たちの雑誌は肩が凝つて仕様がないが詰碁と詰将棋を載せてくれないかナ、と言つて、平野謙に叱られた。これは一場の冗談だけれども、又、冗談とばかりも限らず、「近代文学」は詰碁、詰将棋でもなくては退屈千万だ。

たとへば、理学、工学、化学、医学、農学、美術、音楽などのそれぞれ最も専門的な純学術雑誌に詰碁や詰将棋が載つたらどうだらう。別に学術雑誌のダラクだなどと言はず、研究室の休養のひとゝきに気の利いたことだと喜んでくれる学者が多いんぢやないかな。研究室に碁盤や将棋盤があつても、探偵小説の数冊が置いてあつても、学者のダラクなどと言ふ者もなからう。本当に仕事をする者には休養が必要で、尊いものだ。

休養、娯楽を悪徳と見る儒学思想は今日も尚日本の家庭を盲目的に支配してをり、よく働き、よく遊べといふやうな分りきつたことすらも、尚一般的な常識ではないのである。休養、娯楽が家庭化されてゐないから、芸術の鑑賞も亦家庭化せられず、芸術の休養、娯楽性といふやうなものも理解せられてをらぬのである。

人間探求、生活探求、そして魂の糧であるといふこと、それも亦たしかに文学の効用のひとつであるけれども、元々小説は思想の解説書ではなく、人の生活を物語ることによつて、読者の心と通じるもので、面白く語ることによつて先づ読者と友達になる、話術も大切で、半面の休養娯楽性といふものを忘れては成り立たない。話術も小にしては個々の表現法であるが、大にしては筋の構成、この話術は文学の戯作性といふもので、作者の思想が高く、人間通の眼光鋭く深く、かりそめにも人生を遊ばず人の悲痛な宿命に就て慟哭の唄声をかなでるものであつても、同時に話術家としての作者は戯作世界にゐるものなのである。

シエクスピアは傑れた人間通であると同時に傑れた戯作者であり、ドストエフスキイは悩み高き思想家であると同時に途方もない戯作者だつた。ストリンドベルヒも同断であり、モリエールの喜劇の面白さによつてモリエールを咎める史家は先づないだらう。

坂口安吾の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本