阿Q正伝
本文約34,600字 ・ 読了時間 約70分
あらすじ(AIが作成しました)
未荘に住む阿Qは、姓名も原籍も定かではなく、村人からは軽んじられる日を送る。自身の立場や出自について誇大妄想を抱き、趙太爺から冷遇されても強がりを通すなど、独特の処世術で生きる。やがて未荘を離れて城内へ出向き、再び村へ戻るが、革命の動乱に巻き込まれていく。周囲の期待とは裏腹に、自身の不遇な運命を悟りながら、周囲の人々や世間の冷ややかな視線の中で、独り自身の存在を模索し続ける男の姿を描く。
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第一章 序
わたしは阿Qの正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれども作ろうとしながらまた考えなおした。これを見てもわたしは立言の人でないことが分る。従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えらる。つまり誰某は誰某に靠って伝えられるのであるから、次第にハッキリしなくなってくる。そうして阿Qを伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやになる。
それはそうとこの一篇の朽ち易い文章を作るために、わたしは筆を下すが早いか、いろいろの困難を感じた。第一は文章の名目であった。孔子様の被仰るには「名前が正しくないと話が脱線する」と。これは本来極めて注意すべきことで、伝記の名前は列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝などとずいぶん蒼蝿いほどたくさんあるが、惜しいかな皆合わない。
列伝としてみたらどうだろう。この一篇はいろんな偉い人と共に正史の中に排列すべきものではない。自伝とすればどうだろう。わたしは決して阿Qその物でない。外伝とすれば、内伝が無し、また内伝とすれば阿Qは決して神仙ではない。しからば別伝としたらどうだろう。阿Qは大総統の上諭に依って国史館に宣付して本伝を立てたことがまだ一度もない。――英国の正史にも博徒列伝というものは決して無いが、文豪ヂッケンスは博徒別伝という本を出した。しかしこれは文豪のやることでわれわれのやることではない。そのほか家伝という言葉もあるが、わたしは阿Qと同じ流れを汲んでいるか、どうかしらん。彼の子孫にお辞儀されたこともない。小伝とすればあるいはいいかもしれないが、阿Qは別に大伝というものがない。煎じ詰めるとこの一篇は本伝というべきものだが、わたしの文章の著想からいうと文体が下卑ていて「車を引いて漿を売る人達」が使う言葉を用いているから、そんな僭越な名目はつかえない。そこで三教九流の数に入らない小説家のいわゆる「閑話休題、言帰正伝」という紋切型の中から「正伝」という二字を取出して名目とした。すなわち古人が撰した書法正伝のそれに、文字の上から見るとはなはだ紛らしいが、もうどうでもいい。