孔乙己
本文約4,300字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
魯鎮の咸享酒店で働く小僧の視点から、酒場に集う人々の嘲笑の的でありながら、唯一長衫を纏う読書人である孔乙己の姿を描く。読み書きに長け、盗みを働いても清算は欠かさない孔乙己は、酒に溺れて没落し、周囲から蔑まれつつも孤独に生きる。盗みの咎で足の骨を折るという悲惨な境遇に陥った後、再び店に現れるが、その後二度と姿を見せることはなかった。社会の無関心と冷酷な眼差しの中で消えていく一人の男の生涯を辿る物語である。
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魯鎮の酒場の構えは他所と違っていずれも皆、曲尺形の大櫃台を往来へ向けて据え、櫃台の内側には絶えず湯を沸かしておき、燗酒がすぐでも間に合うようになっている。仕事をする人達は正午の休みや夕方の手終いにいちいち四文銭を出しては茶碗酒を一杯買い、櫃台に靠れて熱燗の立飲みをする。――これは二十年前のことで、今では値段が上って一碗十文になった。――もしモウ一文出しても差支えなければ、筍の塩漬や茴香豆の皿盛を取ることが出来る。もし果して十何文かを足し前すれば、葷さの方の皿盛りが取れるんだが、こういうお客様は大抵袢天著の方だからなかなかそんな贅沢はしない。中には身装のぞろりとした者などあって、店に入るとすぐに隣接した別席に著き、酒を命じ菜を命じ、ちびりちびりと飲んでる者もある。
わたしは十二の歳から村の入口の咸享酒店の小僧になった。番頭さんの被仰るには、こいつは、見掛けが野呂間だから上客の側へは出せない。店先の仕事をさせよう。店先の袢天著は取付き易いが、わけのわからぬことをくどくど喋舌り、漆濃く絡みつく奴が少くない。彼等は人の手許をじろりと見たがる癖がある。老酒を甕の中から汲み出すのを見て、徳利の底に水が残っていやしないか否かを見て、徳利を熱湯の中に入れるところまで見届けて、そこでようやく安心する。こういう厳しい監視の下には、水を交ぜることなんかとても出来るものではない。だから二三日経つと番頭さんは「こいつは役に立たない」と言ったが、幸いに周旋人の顔が利き、断りかねたものと見え、改めてお燗番のような詰らぬ仕事を受持たされることになった。わたしはそれから日がな一日櫃台の内側でこの仕事だけを勤めていたので、縮尻を仕出かすことのないだけ、それだけで単調で詰らなかった。番頭さんはいつも仏頂面していなさるし、お客様は一向構ってくれないし、これじゃいくらわたしだって活溌になり得るはずがない。ただ孔乙己が店に来た時だけ初めて笑声を出すことが出来たので、だから今だにこの人を覚えている。