北村透谷の短き一生
本文約8,300字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
島崎藤村は、晩年の三年間交流した友人である北村透谷の生涯を綴る。女学雑誌への寄稿を経て、文学界の創刊に深く関わった透谷の文学活動や、自身の創作に込めた情熱を描く。また、政治家や哲学者を志した青年期の葛藤から、文学の道へ進む過程、そして晩年の思想的変遷に至るまで、その人となりを追憶する。士族の階級が滅びゆく時代に生きた一人の先駆者の歩みを、遺稿や個人的な思い出を交えて紹介する。
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北村透谷君の事に就ては、これまでに折がある毎に少しずつ自分の意見を発表してあるから、私の見た北村君というものの大体の輪廓は、已に世に紹介した積りである。北村君の生涯の中の晩年の面影だとか、北村君の開こうとした途だとか、そういう風のものに就ては私は已にいくらか発表してある。明治年代も終りを告げて、回顧の情が人々の心の中に浮んで来た時に、どういう人の仕事を挙げるかという問に対しては、いつでも私は北村君を忘れられない人の一人に挙げて置いた。北村君の一番終いの仕事は、民友社から頼まれて書いたエマルソンの評伝であった。それは十二文豪の一篇として書いたものだが、すっかり書き終らなかったもので、丁度病中に細君が私の処へその原稿を持って来て、これを纏めて呉れないかという話があって、その断片的な草稿を文字の足りない処を書き足して、一冊の本に纏めたという縁故もあり、それから同君が亡くなった後で書いたものなどが散って了うのが惜しいと思って、種々の雑誌などから集めて透谷集というものに作ったのも自分であった。元々私はそう長く北村君を知っていた訳では無い。付き合って見たのは晩年の三年間位に過ぎない。しかし、その私が北村君と短い知合になった間は、私に取っては何か一生忘れられないものでもあり、同君の死んだ後でも、書いた反古だの、日記だの、種々書き残したものを見る機会もあって、長い年月の間私は北村君というものをスタディして居た形である。『春』の中に、多少北村君の面影を伝えようと思ったが、それも見たり聞いたりした事をその儘漫然と叙述したというようなものでは無くて、つまり私がスタディした北村君を写したものである。北村君のように進んで行った人の生涯は、実に妙なもので、掘っても掘っても尽きずに、後から後から色々なものが出て来るように思われる。これは北村君を知っていたからと云って、無暗に友達を賞めようという積りではない。成程過ぎ去った歴史上には種々優れた人もあるが、同時代にいた、しっかりした友達の方に、却って教えられた事は多いのである。