葛のうら葉
本文約18,900字 ・ 読了時間 約38分
あらすじ(AIが作成しました)
父を亡くした娘は、母と共に東京の長屋で暮らしながら勉学に励む。ある男性との恋に落ちるが、相手は野心のために社長令嬢との結婚を選び、娘は心身の健康を損なう。その後、友人の中川から相手の現状と堕落を知らされ、絶交の事実を告げられる。娘は深い絶望と葛藤のなか、中川から託された書物を通じて自己を見つめ直し、過去の執着を乗り越えて自らの心と向き合おうと決意し、新たな精神的救いを求めて懺悔の心境に至るまでを描く。
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その上
憎きもかの人、恋しきもかの人なりけり。我はなど憎きと恋しきと、氷炭相容れぬ二ツの情を、一人の人の上にやは注ぐなる。憎しといへばその人の、肉を食みても、なほあきたらぬほどなるを、恋しといへばその人の、今にもあれ我が前にその罪を悔ひ、その過ちを謝しなむには、いづれに脆き露の身を、同じくはその人の手に消えたしとは、何といふ心の迷ひぞや。さあれ我はこの迷ひ一ツに、今日までをしからぬ命ながらえて、空蝉のもぬけの殻に異ならぬ身をも、せめては涙をやどす器としてだも保ち居たりしなれ。もしこの迷ひなかりせば、我は疾くにかの人を殺さずんば、我自ら死しゐたりしならむ。さるを死なず殺さず今日まで自他の身を完ふすること得たりしは、実にもこの迷ひ一ツの為にぞある。されど今は妄執の雲霧も晴れ、恋慕の覊絆も絶えたれば、いでや再びもとの我にかえりて、きのふけふ知りそめつるつくりぬし、かつは亡き父母君の、声なき仰せに随ひて、あはれ世に生まれ出し甲斐ある身ともならばやと、心のみは弓張月の、張るとはすれど、張るに甲斐なき下弦の月、一夜一夜に消えてゆく、今の我が身を何とかせむ。ああ勝ち難き我が心にも勝ち得る時はありしものを、勝たれぬは、身の病なり死の根なり。さあれ今は何をか歎き、何をか悲しまむ、身の生きて、こころの死にし昨日の我よりも、こころの生きて身の死なむ今日の我を幸ひに、我は年頃の憂さを感謝に代へて、せめては最後の念を潔ふし、汚れに染みし身の懺悔を、我と我が心に語りて見む。