大衆の知恵
本文約2,400字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
シナリオライターが映画制作において観衆のこころを理解する重要性を説き、日本特有の三百年間にわたる鎖国がもたらした冷凍文化の功罪を論じる。封建性の残滓と近代知識が共存する複雑な状況下で、矛盾を抱えつつも必死の知識を蓄えてきた農民層という大衆の真の姿を分析する。その上で、大衆の鋭い知恵に見守られる立場にあるシナリオライターが、彼らの心に深く融け込み、真実の声を見つけ出すことの切実な意義と困難を綴る。
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私はこの雑誌の五号で「カットの文法」という文章を書いたが、あの中で私は次のように書いた。カットをつなぐのは、ほんとうは、観衆なのである。観衆が、あの場面と場面をどんなこころで、つないで見るかを頭に置いて、シナリオ・ライターも、監督も、フィルムをつないでいくのである。
フィルムには「である」「でない」の言葉がカットとカットの間にないから、小説家が勝手に書くように簡単にいかないのである。
シナリオ・ライターの悩みはここにあるのである。
シナリオ・ライターは、だから直接、大衆のこころの中に割り込んで、一緒に、シナリオを書いていかなくてはならない。
大衆のこころのどまんなかに融け込んでいなくては、うまいシナリオとはなってこないのである。
もはや、映画が、独りよがりの、個人的天才の芸術のための芸術というようなものではありえなくなりつつあると共に、この種の芸術論をでんぐりかえして、新しい天地に、自分独特の世界を切り展きつつある。
そこで、シナリオ・ライターが、大衆の知恵を、どう測定し、どの角度から、その懐ろに飛び込んでいくかが、大きな問題となってくるのである。
ことに、一体、日本の大衆とは何なのか。
日本は、世界が、一度も実験したことのない、歴史的実験を試みている。
それが島国であったからできたことであるが三百年にわたって、国を外国から断ち切って鎖でとざしてしまうことができたという、とんでもないことをやってのけたのである。
国の文化を、冷蔵庫の中に閉じ込んで、じいっと、そのままに三百年も、凍らせてみるという大実験をしたのである。
そこには二つの大きい問題がある。