国防と文化
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あらすじ(AIが作成しました)
事態が切迫する中、高度国防国家体制の必要性を論じる。国民一人一人が高い文化の創造者としての責任を持ち、秩序ある「軍隊的なるもの」を身につけることを提唱する。また、西洋的教養の影響で忘れられつつある日本古来の「たしなみ」を取り戻し、一人一人が力を合わせることで真の国力を発揮し、精神的に豊かな文化を築き上げるべきだと主張する。東北の茶店での日常の光景を例に、人間としての自然な共感の重要性も説く。
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いよいよ事態が切迫して来たやうであります。それに対して国を挙げての準備は整つてゐるでありませうか。
議会でも、質問を中止して、直ちに予算の審議にはいりました。
国家総力戦の真のすがたが、国民一人一人の眼にはつきりわかる時が近づきつゝあります。
われわれはこゝで、国の力といふことを考へてみなければなりません。国の力、即ち国民の力であります。武力といひ、経済力といひ、外交の力といひ、すべてこれ、われわれ日本民族の現実の行為であり、その肉体と精神の火花であります。そして、それらすべてが、広い意味の文化をこゝに示すものであります。
先日、議場に於る陸海軍大臣の声明が新聞に出てをりましたが、それは誠に意を強くするに足る言葉でありました。
しかし、軍備はいかに充実しても、充実しすぎるといふことはありません。なぜなら、敵国は必ずその上に出ようとするからです。経済力はと申しますと、これまた御承知の通り、日本はそれほど恵まれてゐるとは云へません。では外交は? 然し、外交の終るところから戦ひがはじまるのであります。
それらに付し、高度国防国家体制の必要がとなへられ、いはゆる文化の部門がその一翼として動員されることになつた理由は、国の力が、まだ、そこにもあるといふことの証拠であります。
そこにもあるどころではありません。私の考へでは、これこそ、国民の底力であり、それによつて明日何かゞできるといふことであり、それが、未来へのたしかな希望となるのであります。