Resignation の説
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あらすじ(AIが作成しました)
現代の文芸界において、自身の言説が不当に「愚痴」や「厭味」と見なされる現状に対し、自身の立場を表明する。田山花袋や島崎藤村ら周囲の作家との比較、あるいは世間からの評価に対し、無関心とも言える「resignation(諦念)」という心境を説く。批評家が抱く「時を得ない者は不平を抱いている」という先入観を思想の貧弱さとして指摘し、自身の独自の姿勢と、談話が意図と異なって伝わることへの危惧を語る。
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現代の思想とか、新しい作者の発表している思想とか云うものについて話せというのですか。それは私の立場として頗る迷惑です。
もし私が現に批評壇に立っている諸君と同一な思想を持っていたなら、別にそれを発表する必要がないわけでしょう。もし変った思想を持っていたなら、それを発表した結果がどうなるでしょうか。
それについては多少の経験を持っています。ついどうかした機会に何か言うことがある。そしてその都度不愉快極まる反響を聞くのです。
昨今は私が何か云うと、愚痴とか厭味とか云ってからかわれることになっている。それだけで何の効果もない。何の役にも立たない。人に利益は与えずに、自分が不愉快な目に逢うのみです。そんなことは私だってしたくはないのです。
現在の文芸界では active に何かしている、重立った諸君は極まっています。田山君とか、島崎君とか、正宗君とか、それから少し後に仲間入をしたような小山内君とか、永井君とか云うような諸君でしょう。それと少し距離のある方面で働いているのは夏目君に接近している二三の人位なものでしょうか。小説以外の作品を出していられる諸君は数えません。
そこで私がそう云う諸君の下風に立っていて、何だか不平を懐いているものとでも認められているらしく見えます。私の言うことを愚痴、厭味と極められている意味はそう云う意味かと思います。
おおかたこんなことを言えば、即ちそれが厭味だと云うかも知れません。然らば口を閉じるより外はないようなものです。
所が、私の考えている事は全く違っています。尤もこの考えている事というのが、告白であるかないか、矯飾をしていないかという疑問が直ぐに伴って来る。もっと立ち入って云えば、自分では云々と考えていると思っても、それは自ら欺いている、即ち自己のために自己を矯飾しているのかも知れない。そんな風に穿鑿して見ると、むしろ頭からその考えている事を言わずに置くのが好いかも知れないのです。