愛読した本と作家から
本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
トルストイやメリメ、ゴーゴリ、モリエールといった作家の作品を読んだ個人的な体験を綴る。筆者にとって読書とは自らの血肉となるべきものであり、各作家の持つ特質や、戦争の真実味、諷刺の在り方について論じる。小説や戯曲を書くこと自体を目的にせず、時代や生活、人生のためにペンを執った先人たちの真摯な姿勢に触れ、それらの作家の態度を手本として学び取ろうとする作家としての矜持を表明する。
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いろ/\なものを読んで忘れ、また、読んで忘れ、しょっちゅう、それを繰りかえして、自分の身についたものは、その中の、何十分の一にしかあたらない。僕はそんな気がしている。がそれは当然らしい。中には、毒になるものがあるし、また、毒にも薬にもならない、なんにも、役立たないものもある。
空腹のとき、肉や刺身を食うと、それが直ちに、自分の血となり肉となるような感じがする。読んでそういう感じを覚える作家や、本は滅多にないものだ。
僕にとって、トルストイが肥料だった。が、トルストイは、あまりに豊富すぎる肥料で、かえってあぶないようだ。あまりに慾張って、肥料を吸収しすぎた麦は、実らないさきに、青いまゝ倒れて、腐ってしまう。そのように、トルストイという肥料から、あまり慾張ってそれを吸収しすぎると、こっちが、肥料負けがしてあぶない。
僕は、「三つの死」のみず/\しい、詩に、引きつけられた。「アンナ・カレニナ」「復活」などよりも、「戦争と平和」が好きだ。戦争を書いた最もいゝものは、「セバストポール」だ。「セバストポール」に書かれた戦争は、「戦争と平和」にかゝれた戦争よりも、真実味の程度に於て、純粋で、はるかにしのいでいる。トルストイのような古今無双の天才でも、自分が実際行ったセバストポールと、想像と調査が書いた「戦争と平和」に於ける戦争とには、段がついている。
「セバストポール」には、本当にその場に行き合わしたものでなければ出せないものがある。それが吾々を打つ。
メリメは、水のように冷たい。そして、カッチリ纒りすぎる位いまとまっている。常に原始的な切ったり、はったり、殺し合いをやったりする、ロマンティックなことばかりを書いている。どんなことでも、かまわずにさっさと書いて行く、冷たい態度が僕はすきだった。燐光を放っている。短篇を書くならメリメのような短篇を書きたい、よく、そう思った。