鷲
本文約21,600字 ・ 読了時間 約44分
あらすじ(AIが作成しました)
文政十一年の秋、江戸の御鉄砲方・和田弥太郎の妻とお供の下男は、縁日の川崎大師で以前から面識のある親子に出会う。和田家は幕府の命を受け、鷹場を荒らす大鷲の駆逐という困難な役目を負っていた。その後、和田家の長男・又次郎が現地で変死を遂げ、父の弥太郎も急死して家は断絶する。一連の出来事の背後には、かつて鷲の巣から救い出されたという娘・お蝶の数奇な出生と、それにまつわる不思議な因縁が影を落としていた。
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一
今もむかしも川崎の大師は二十一日が縁日で、殊に正五九の三月は参詣人が多い。江戸から少しく路程は離れているが、足弱は高輪あたりから駕籠に乗ってゆく。達者な者は早朝から江戸を出て草履か草鞋ばきで日帰りの短い旅をする。それやこれやで、汽車や電車の便利のない時代にも、大師詣での七、八分は江戸の信心者であった。
これもその信心者の一人であろう。四十を一つ二つも越えたらしい武家の御新造ふうの女が、ひとりの下男を供につれて大師の門前にさしかかった。文政十一年の秋ももう暮れかかる九月二十一日朝の四つ半頃(午前十一時)で、大師河原の芦の穂綿は青々と晴れた空の下に白く乱れてなびいていた。
この主従は七つ(午前四時)起きをして江戸の屋敷を出て、往きの片道を徒で歩いて、戻りを駕籠に乗るという世間なみの道中であるらしく、主人の女はもうかなりに疲れたらしい草履の足をひき摺っていた。下男はいわゆる中間で、年のころは二十四、五の見るから逞ましそうな男ぶりであった。彼は型のごとくに一本の木刀をさして、何かの小さい風呂敷づつみを持って、素足に草鞋をはいていた。
「お疲れでござりましょう。万年屋でひと休み致してまいればよろしゅうござりました。」と、彼は主人をいたわるように言った。
「御参詣も済まないうちに休息などしていては悪い。御参詣を済ませてから、ゆるゆると休みましょう。」
女はわざと疲れた風を見せないようにして、先に立って大師の表門をくぐると、前にもいう通りきょうは九月の縁日にあたるので、江戸や近在の参詣人が群集して、門内の石だたみの道には参下向の袖と珠数とが摺れ合うほどであった。女も手首に小さい珠数をかけていた。
その人ごみのあいだを抜けて行くうちに、女はふと何物をか見付けたように、下男をみかえってささやいた。
「あれ、あすこにいるのは……。」
言われて、下男も見かえると、石だたみの道から少し離れた桜の大樹の下に、ふたりの女がたたずんで、足もとに餌をひろう鳩の群れをながめていた。下男はそれを見つけて、足早に駈け寄った。
「もし、もし、お島さんのおっかあじゃあねえか。」