TRENDIA CLASSIC

魔像

林不忘

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「卑怯! 卑怯ッ! 卑怯者ッ!」

大声がした。千代田の殿中である。新御番詰所と言って、書役の控えている大広間だ。

荒磯の描いてある衝立の前で、いまこう、肩肘を張って叫び揚げた武士がある。

紋服に、下り藤の紋の付いた麻裃を着て、さッと血の気の引いた顔にくぼんだ眼を据え、口唇を蒼くしている戸部近江之介である。西丸御書院番頭脇坂山城守付きの組与頭を勤めている。それが、激怒にふるえる手で、袴の膝を掴んで、ぐっと斜めに上半身を突き出した。

「ぶ、無礼でござろう。神尾氏ッ! 謝罪召されい!」

畳を刻んで、詰め寄せている。同時に、居流れる面々が、それぞれ快心の笑みを浮かべて、意地悪げに末席の一人を振り向いた。

其処に、神尾喬之助が両手を突いている。

おなじくお帳番のひとりとして、出仕して間もない若侍である。裃の肩先が細かく震えているのは、武士らしくもない、泣いてでもいるのか、喬之助は顔も上げ得ない。

どッ! と、浪のような笑声が、諸士の口から一つに沸いて、初春らしく、豊かな波紋を描いた。が、笑い声は長閑でも、どうせ嘲笑である。愚弄である。一同が高だかと、哄笑を揺すりあげながら、言い合わしたように、皆じろり[#「皆じろり」は底本では「皆じろり」]と小気味よさそうな一瞥を末座へ投げると、いよいよ小さくなった神尾喬之助は、恐縮のあまり、今にも消え入りそうに、額部が畳についた。

「ふん、如何に中原の鹿を射当てた果報者じゃとて、新役は新役、何もそうお高く留まらずとも、古参一同に年賀の礼ぐらい言われぬはずはござるまいッ!」

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