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TORENDIA

釘抜藤吉捕物覚書

本文約9,000字 ・ 読了時間 約19分

あらすじ(AIが作成しました)

安政三年の春、竜泉寺の長唄師匠宅で小博奕打ちの男の死体が発見される。内部から厳重に戸締まりされた現場から、岡っ引の勘次は自害説に疑問を抱く。八丁堀の釘抜藤吉と共に現場を調べ直した勘次は、格子の瑕や死体の状態から巧妙な殺害工作を見抜き、真相に迫る。やがて吉原の地廻りと師匠の妻による密通の過去が浮上し、悲劇的な愛憎の果てに引き起こされた事件の全貌が明らかにされていく過程を描く。

林不忘

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一

早いのが飛鳥山。

花の噂に、横町の銭湯が賑わって、八百八町の人の心が一つの陽炎と立ち昇る、安政三年の春未だ寒いある雨上りの、明けの五つというから辰の刻であった。

唐桟の素袷に高足駄を突っ掛けた勘弁勘次は、山谷の伯父の家へ一泊しての帰るさ、朝帰りのお店者の群の後になり先になり、馬道から竜泉寺の通りへ切れようとして捏返すような泥濘を裏路伝いに急いでいた。

伊勢源の質屋の角を曲って杵屋助三郎と懸行燈に水茎の跡細々と油の燃え尽した師匠家の前まで来ると、ただごとならぬ人だかりが岡っ引勘次の眼を惹いた。

「何だ、喧嘩か、勘弁ならねえ。」

綽名にまで取った、「勘弁ならねえ」を連発しながら、勘弁勘次は職掌柄人波を分けて細目に開けた格子戸の前に立った。

江戸名物の尾のない馬が、勝手なことを言い合っているその言葉の端ばしにも、容易ならぬ事件の突発したことが窺われた。

「おや、お前さんは八丁堀の勘さんじゃねえか。」

こう言ってその時奥から出て来たのは、少し前まで合点長屋の藤吉の部屋で同じ釜の飯を食っていた影法師の三吉であった。彼は藤吉の口利きで今この界隈の朱総を預る相当の顔役になっていたものの、部屋にいたころから勘次とはあまり仲の好い間柄ではなかった。まして繩張りがこう遠く離れてからというものは、かけ違ってばかりいて二人が顔を会わす機会もなかったのであった。

「何だ、喧嘩か、勘弁ならねえ。」

勘次は内懐から両手を出そうともせず、同じことを繰り返していた。

「相変らず威勢がいいのう。」

冷笑すような調子で笑いながら、

「なにさ自害があったのさ。」

と三吉は事もなげにつけたした。

「自害か、面白くもねえ。して――髱か、野郎か?」

それでもいくぶん好奇心をそそられたと見えてこう訊き返しながら、ふと勘次は格子内の土間の灰溜りに眼をつけた。

「血だな。」

彼は独言のように言った。

「おおさ、この所で腹を突いたと見えて、俺が来た時は、もう黒くなりかけた血の池で足の踏場もねえくらいの騒ぎよ。」

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