安吾の新日本地理
本文約21,600字 ・ 読了時間 約44分
あらすじ(AIが作成しました)
戦後の日本で厳重さを増す駅での検問を機に、著者はかつての切支丹禁圧と鎖国政策の特異性を論じる。さらに、戦前に長崎で経験した憲兵による取調べの記憶を回想し、歴史的な隠れ切支丹の動向や浦上の信徒たちの活動に触れる。長崎という土地特有の閉鎖性と開放性が混在する風土や、都市の感情を辿りながら、人々の生活と平和の根源について考察を綴る。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
急行列車が駅にとまると、二人か三人の私服刑事らしき人物が車内の人物の面相を読みつつ窓の外を通りすぎる。私の終戦後の遠距離旅行はこの正月からのことであるから、こういう人物の駅々の影のような出迎えがいつごろから始まったのか知らないが、月を追うてこの出迎えが厳重に、どの駅でも規則正しく行われるようになってきた。
これには無論それだけの理由があるに相違ない。まず共産党幹部の地下潜入、朝鮮戦乱や国際情勢の悪化につれて国外からの密入国や国内からの脱出などゝモグラ族の移動往復が相当ヒンパンであろうから、イヤでも交通の要所々々に目玉を光らせる必要があるのであろう。
交通路の要所に関所をかまえて目玉を光らせるという方法は大昔からのことであるが、義経がどっちへ逃げたか、豊臣の残党がどうしたか、と云っても、その取締りは案外に無邪気なもので、草の根を分けてもという全国一丸の警察網を張りめぐらし、長年月にわたって徹底的に断圧、根絶を期したというのは現代に於ては昭和初頭に於ける共産党、過去に於ては切支丹宗門があるのみであろう。
切支丹の断圧は秀吉に始まったが、家康の晩年に於て強化された。彼が自分の手で辛うじて完成した徳川幕府というものを守るために、他の一切に対して示した猜疑、警戒というものは蟻の出入口もないほどの堅固なもの。鉄砲という新兵器への断圧などは序の口で、大きな河には橋を造らせず、渡し舟まで禁じるという警戒万全主義であるから、鎖国だとか切支丹宗門断圧は彼の主義政策の当然な一ツの結論。わが子親類縁者参謀功臣に至るまでまず一切を疑るということをもって政治の前提としているのだもの、外国勢力をトコトンまで国外追放にしたのは彼の統治方針の結論としては奇も変もない自然なことで、切支丹だからどうこうという、切支丹という宗教の内容に重点のある禁圧ではなかったであろう。秀吉の禁令の理由が日本は神国であるというような、多少は外国を異端視した国粋思想からの反撥があるのに比べて、家康の方は他の一切を疑り、進歩の一切を排するという警戒万全主義から発した当然きわまる処置の一ツにすぎなかったのである。