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TORENDIA

探偵小説を截る

本文約2,800字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

本格推理小説が抱える形式のマンネリズムを痛烈に批判する論考。古今の探偵小説に共通する名探偵と無能な警察官の対比という型を、ガボリオーやヴァン・ダインを例に挙げ、独創性を欠いた幼稚な模倣と断じる。さらに、物理学や数学の知識をひけらかすトリックの不合理さや、人間心理への無理解を糾弾。犯罪を扱う文学として、人間性の秘奥に対する深い洞察と合理的な造型を欠いている現状を鋭く分析し、探偵作家の知性の貧困を指摘する。

坂口安吾

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🎧 探偵小説を截る / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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私は探偵小説をよむと、みんな同じ書き方をしているので、まずウンザリする。洋の東西を問わず、本格推理小説となると、みんな形式が同一である。

先ず第一に名探偵が現れる。この名探偵がいかにも思い入れよろしく、超人的にピタリ/\とおやりになる。すると、対照的にトンマな警部とか、探偵とかゞ現れて、この御両人の角突き合いが小説の半分ぐらい占めているというアンバイである。

私は探偵小説の歴史などには疎いが、私のよんだ範囲では、だいたい、この形式はガボリオーで完成しているようである。その探偵はタパン先生の弟子ルコックでありトンマ探偵は、時になんとか警部であり、時に巴里名題の探偵というグアイである。

ルコック探偵には、商売仇きのボンクラ探偵の登場が絶対に必要なものがあり、それによってルコックの修業時代が表現されているのであるが、その他の亜流の作品には必然性というものはない。いつか形式ができ、その馬鹿の一つ覚えというほかに一切の取り柄がないのである。

ヴァン・ダインとなると、この形式の臭気は、まったく鼻持ちならなくなる。フィロ・ヴァンスなる迷探偵が何かにつけて低脳そのものゝ智者ぶりを発揮する。まったく、こゝまで超人的明察となると、これは低脳と云わざるを得ない。作者の頭の悪るさの証拠である。つまり、智能の限界を知らないのである。

これに配するボンクラ刑事は、マーカムという検事、ヒューズ警部、御ていねいに二人まで登場して、読者には判りきったマヌケぶりを、くりかえし、くりかえす。このバカ問答がヴァン・ダインの探偵小説のほゞ三分の二を占めている。

この低脳ぶり、無能無策の頭の悪さに立腹するどころか、これぞ探偵小説の本道などゝズイキしてお手本にしているのが小栗虫太郎はじめ日本の探偵小説家であるから、みんな三分の二はムダなことを得々と書いていられる。

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