思索者の日記
本文約1,700字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
日常の咳や誕生日の過ごし方、印刷所での出来事といった何気ない日記の記述から出発し、西洋と東洋の死生観や歴史的意識の違いを考察する。誕生や死を歴史的事象ではなく日常的な出来事として捉える東洋的な感性に触れつつ、悲劇的精神を欠くという日本特有の精神風土を論じる。知人との交流や読書を通じて思索を深め、西洋思想と比較しながら東洋的ヒューマニズムの本質や、ナチス的な政治思想に対する日本人の相性について自らの見解を綴る。
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一月五日
朝起きると、ひどく咳が出る。烟草で咽喉を痛めているせいだ。おそく起きた朝ほど咳がひどいのは、その前夜おそくまで仕事をして烟草の量を過した兆しである。私の咳はかなり有名で、近所の子供はコンコンのおじさんと呼んでいる。老人臭くていけないが、烟草の量はなかなか減らないで困る。私が外出先から帰って来るときには、家に入らない前に咳でわかる、と亡妻はいっていたし、私が在宅か否かは咳が聞えるかどうかで判断することができる、と隣の人たちはいっている。そんなに咳をしていながら自分自身ではあまり気づかないということは、修身講話のひとつの例となり得る事実である。
二階の仕事部屋からふと外を見ると、凧がひとつ空に高く上っている。飛んでいるようでもあり、踊っているようでもあり、舞っているようでもあり、そのコミカルな姿態をしばらく眺める。空は曇って風が強い。
郵便物を調べて必要なものに返事を書く。今年は年賀状をいっさい出さなかったが、それでも田舎の知人から来たものだけにはこちらからも返しを出す。正月は田舎がなつかしい。東京には「正月」がない。
昨夜おそくまで起きて済ませたパンフレットの校正を持って、夕方までに再校を出してもらうつもりで急いで日本橋まで行ったが、今日は印刷所では仕事をしないという。
帰ってみると、机の上に子供が私の誕生日のために祝いの手紙と贈物のバットとを載せている。今日は私の誕生日。祝ってくれるのは子供一人だけで、「自祝自戒」のほかないとつぶやいてみる。私は以前から誕生日を祝うということをあまりしたことがない。