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TORENDIA

わが青春

本文約2,700字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

二十三歳の夏、中野で自炊生活を送りながら綴った原稿を起点に、自身の生長を振り返る回想録。西田幾多郎との出会いにより哲学の道を志し、京都帝国大学の文科へ進んだ学生時代を辿る。個性豊かな学友との交流や、西田、波多野精一、深田康算ら錚々たる教授陣から受けた学問的影響を綴る。詩作に耽った浪漫的な日々から、卒業論文執筆中に遭った交通事故、そして青年期の終焉を経て、真の青春の始まりを追想するまでの歩みを記述する。

三木清

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🎧 わが青春 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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一

去年の暮、ふと思い付いて昔の詩稿を探していたら「語られざる哲学」と題するふるい原稿が見付かった。百五十枚ばかりのもので、奥書きには「一九一九年七月十七日、東京の西郊中野にて脱稿」と誌してある。あのころは九月に新学年が始まることになっていたから。ちょうど大学の二年を終えた時で、私の二十三の年である。

想い起すと、その夏、休暇を利用して東京へ出た私は、相良徳三と一緒に中野に小さな家を借りて自炊生活をした。今の文園町のあたりである。右の原稿はその時に書いたもので、私の生長の心理的過程を告白録風に記している。もとより人に示すべきものではないが読み返してみると自分にはなつかしいもので、青春の感傷や懐疑や夢を綴っている。「しんじつの秋の日照れば専念にこころをこめて歩まざらめや」、などと歌った若い私であった。あのころの中野にはまだ武蔵野の面影が存していた。私は一高を出て京都の文科に入ったのであるが、京都に移っても忘れられなかったのは武蔵野の風物である。山や海よりも平野が私の気持にいちばんしっくりするように思う。

*

京都へ行ったのは、西田幾多郎先生に就いて学ぶためであった。高等学校時代に最も深い影響を受けたのは、先生の『善の研究』であり、この書物がまだ何をやろうかと迷っていた私に哲学をやることを決心させたのである。もう一つは『歎異鈔』であって、今も私の枕頭の書となっている。最近の禅の流行にもかかわらず、私にはやはりこの平民的な浄土真宗がありがたい。おそらく私はその信仰によって死んでゆくのではないかと思う。後年パリの下宿で――それは二十九の年のことである――『パスカルにおける人間の研究』を書いた時分からいつも私の念頭を去らないのは、同じような方法で親鸞の宗教について書いてみることである。

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