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TORENDIA

日記

本文約2,000字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

国府津の海岸で夕景を眺める著者は、幸福とは特定の条件で感じられる感覚であると考察し、社会の矛盾に思いを致す。帰郷した家庭では、父母の小市民的な振る舞いや家族間の生活習慣の相違に反発し、閉塞感に苦しむ。日常の些事や周囲の人々との交流、社会情勢への葛藤を綴ることで、自らの内面と置かれた現実の過酷さを直視し、インテリゲンツィアとしての生き方や個人の尊厳について問いかける日々の記録を収める。

宮本百合子

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🎧 日記 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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八月十一日  国府津の海岸。夕方の六時すぎから七時、七時半、段々あたりが暗くなる裡に上げ潮の白い波頭が遠く二宮の海岸の方にまでよせては引く景色が実に美しい。

渚に立って、足の先を波に洗わせながら自分は、思いに沈んでいた。

愛するものの逞しい腕につらまってこの波に浮び、全身を力づよい潮にまかせて洗われたら、どんなに幸福であろうか、と。――

そして、幸福というものの感覚を鋭く鋭く感じた。「幸福」は観念ではない。よくひとは、何々を考えれば幸福であるというような事を云うがそれは内容のないオームの表現だ。幸福は感覚だ。しかも或人に対して或特定の条件によってだけ感じられる感覚だ。

景色が美しければ美しいほど心なぐさまぬ自分をはっきり感じた。その心は巖のようであった。ことごとに存在をはっきりするばかり。

○同じとき

四辺がすっかり暗くなった。夜づりの灯が水平線に規則正しい間かくを置いてキラキラ輝き出した。

それは陸から見ると美しい。しかし、その沖の灯の下にある飢えを考えると、私共はその美しさを云々することに気恥しさを感じる。社会は変らねばならぬ。すべての自然の美を、美として甦らせ得る社会が来なければならない。

そう思って、我々はいかに多くの歓びと美を失っているかと思って暗い波の上を見て居たら一艘小舟がいつの間にかすぐ前の波うち際へ薄黒くやって来ている。

夕闇の海面でぼんやり影がひろがって、高く低くゆれてもまれている舟とその上に櫓をあやつっている漁師の姿が、実際より大きく、馬にでものっているように見え、気味わるかった。

やがて大きい波にのってスーと砂地へのりあげて来た。漁師はすばやく船からとび降り、砂原を駈け馴れている独特の足つきで速く砂の上へ網の綱をひっぱって行った。

八月十三日  夕飯をたべに行こうという。父、母、明治やの上の中央亭。

○そこへ大□さんが夫婦、娘で来る。父・母急にあわて、うやうやしく立ってあいさつをする。レスペクトを払う。

自分いやな心持。

かえりに、先へ行く、わざわざ名刺を書いてボーイにわたす、お先に失礼と。

小市民的卑屈さ。

父のしゃれ、自動車の前へのって、

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