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TORENDIA

ソヴェトの芝居

本文約25,900字 ・ 読了時間 約52分

あらすじ(AIが作成しました)

ソヴェトにおける映画や芝居が、社会主義国家の計画的な芸術生産の下でいかに扱われているかを綴る。劇場に対する国からの予算分配や、五ヵ年計画が演劇の実質や上演目録に与える影響について触れる。また、伝統的な古典を継承する劇場から、新興のプロレタリア演劇までを概観し、革命後の新しい生活を反映する芸術のあり方を論じる。実際の公演風景や作家の挨拶を通じて、社会と芸術が密接に関わる当時のソヴェトの演劇文化を描く。

宮本百合子

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――この頃は、ぼつぼつソヴェト映画が入って来るようだね。「アジアの嵐」なんか猿之助の旗あげにまで利用されて賑やかだった。あれはあっちでも、勿論傑作の部なんだろう?

――そりゃそうさ。はじめてモスクワの「コロス」っていう優秀映画館で公開された時は素敵だった。伴奏は特別作曲された音楽だったし。

帝国主義と植民地とがどういう関係におかれているかということの真実が堂々としたプドフキンの芸術的手腕で把握されていた。

ところがね、面白いことには、それから数ヵ月経ってパリへ行ったら、シャンゼリゼーの目抜な映画館で、その「アジアの嵐」をやっているのだ。秋の、雨の降っている晩でね。入って見たら、タイトルは英語だ。しかも、フランスは旧教の国だから、「アジアの嵐」のなかの最も皮肉で愉快な場面、よだれをたらした赤坊のラマに帝国主義国の将軍が勲章をつけてお辞儀したり、おべっかつかったりする場面、反宗教的な場面をあらかた切ってしまってあった。暖いぷかぷかな場席へ、所謂シークなパリの中流男女、金をつかいに来たアメリカ女が並んで、ソヴェトから買って来て骨をぬいた「アジアの嵐」を観ている。仏領インド支那の農民が反抗すると、フランス政府は瀟洒な飛行機から毒ガスを撒いて殺した。だから原作のままの「アジアの嵐」なんぞ上映することを許さないんだ。日本だって、あの作品や「トルクシブ」は「思想善導」されてカットされているんだろう?

ソヴェト映画だからって観る側としては無条件によろこべないんだ。

――それは相当みんな勘定にいれて見ると思う。ソヴェトじゃ映画製作は、計画的生産だってきいたが、そうか?

――鉄、石炭、麦、靴のような消耗品に至るまでソヴェトはすべての生産を計画的にやっている。映画みたいな芸術的生産も大体一年に何本、どういう種類のものをつくると予定してやっている。

――芝居の方はどうなんだ? キノと同じかい?

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