日記
本文約27,500字 ・ 読了時間 約55分
あらすじ(AIが作成しました)
宮本百合子の日記。著者が手術後の入院生活で自身の心身と向き合う姿を綴る。退院後、家族や知人との日常を送りながら、文筆活動に勤しむ日々が記録されている。戦時下の情勢が緊迫していく中、面会や書簡を通じて他者との交流を続け、時代の変化や社会の出来事に対する自身の思考を克明に書き留めていく。家庭生活の機微とともに、戦争が進行する当時の世相や、執筆者としての内面的な葛藤を多角的に描き出す随筆的側面を持つ記録である。
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一月一日(日曜) 起き初め
普通の御飯のたべぞめ
病院では元日には先生がた出て来る。外科では恒例で手術室で福引をするよし。やっぱり大して品のよい文句もないらしい。木村先生盲腸切開、指が入らない、というので子供の指環を当てた人があるよし、これなど上の部。
夜寿江子、島田のかつらをかぶって振袖でやって来た。病院でこんなことをして遊べるのもいいようだが、今度はここの病院のそういうのんきさが却って苦しいように思えた。聖路加では二時―五時面会時間区切って、一日二人位にきめている由。本当の病気のときはそれでないとやり切れまい。廊下も実にざわめいているし。い号の下は軽症が多くてざわざわしているのだそうだが。
一月二日(月曜) 風呂に入り初め
一月三日(火曜) やっと髪を洗う。本当にさっぱりした。十二月に入っては天気が寒かったところへ風邪で二週間だめで、とうとう洗えなかった。病院の中は乾しやすいし風邪の心配もない。
一月六日(金曜) 大きいおなかの上の小さい創を写真にとる。
病院のなかを散歩し初め。
○これまで仰臥して傷を見ていた。それは小さくてこわくもなかったが、いよいよ起きて立って鏡にうつして見たら、やっぱりおなかは切っては悲しいと思う。白く、大きくつるりとしていたおなかに、こわい凹みが出来て、傷である。決してないようにはならない。それをまざまざと感じ、心の傷とこういう傷と比べる気になった。こういう傷をもし心にもっていたとしたら、何と切なかろう。何かにつけそこにふれる、するといつも特別な感じで感じられるという風であったら。
一月七日(土曜) 〔発信〕第三信
一月八日(日曜) 〔受信〕第一信 この辺の日記は手帖からうつす。きょうからガーゼにおつゆがついていなかった。大出来なり。十日にかえることにきめる、と書いてある。
mからの第一信、やさしい手紙。終りに今年もよく学びよく慰とかいて消して力になってと直して書かれている。この字が消されていること、そして自然そういう字が出たところに何か云いつくせぬものを感じる。