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TORENDIA

全体主義への吟味

本文約6,700字 ・ 読了時間 約14分

あらすじ(AIが作成しました)

民衆や知識階級との関係を再吟味する風潮の中で、知識人が大衆の低水準な文化を肯定し追随する姿勢を論じる。著者は、大衆を画一的に扱う全体主義的な傾向が、結果として知識人と大衆双方の進歩性を窒息させていると批判する。また、ヒューマニズムを単なる感情的な人間性への傾倒とせず、社会の階級的な分化や歴史的状況を客観的に捉え、科学的視点を持って進歩的に対峙することの重要性を説く評論である。

宮本百合子

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文学の分野においても、本年の初頭から民衆と知識階級との社会関係の再吟味がとりあげられて来ている。しかし、そのとりあげられかたは一種独特な色調を帯びていて、例えば、『文学界』の同人達によって喧しく提案された文壇否定、従来の意味での職業的文壇的作家の否定、文学の大衆化の声は、不思議にも常に今日の民衆がおかれている文化の貧困と水準の低さとをそれなりに肯定した上で発せられている。この種の論者は、浪花節を何よりすきと思っている民衆の感情にぴったりするようなものを作家は創造して大衆化しなければならないと主張した。大衆にわかるように書かなければならないと主張した。谷川徹三氏はその「文化均衡論」で、現代は民衆の文化水準と知識人の文化水準とが、社会機構の欠陥から余り隔絶しすぎてしまっている、知識人は民衆が現実としてもっている文化水準へ歩みよる努力をしなければならない、そこに新たな文化の生育の可能とヒューマニズムの芽とがかくされていると主張されるのである。

誰にでも明らかなように、これらの主張には互に共通ないくつかの根本的な誤りが含まれている。その第一は、『文学界』の提案も谷川氏の思索も、どちらも民衆の今日の文化水準の低さ、貧しさというものを固定的にそれなりに肯定して、結果としては知識人をそれに追随させようとしていることである。民衆は今日の文化的貧困を自覚するとしないとにかかわらず、自ら希望してそのような低さ、貧しさを求め、そこに止っているのではない。そのように在らしめている社会的な事情というものがある。もし、文化の問題を云々する人々が、文化の水準の質的、量的な貧弱さと豊富さ、高さと低さとを歴史の光に照らして客観的に比較評価する力を失って、現象的に目前多数者の持つレベルはここであるから、と世界的低賃銀で生きていなければならない日本の民衆の、それに応じて高くあろう筈のない文化水準に適応してしまって、そこに引止める役割をもったとしたら、彼等の任務は果して進歩的であるといえるだろうか。

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