髪
本文約8,300字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
三十三歳の語り手は、自身の老いた容貌を鏡に見ては失望するが、唯一黒く房々とした長髪に青春の面影を重ねる。高等学校時代、自由を求めて寮の規則に反し長髪を貫いた経験や、軍部が権勢を振るう中で点呼場にて不条理な暴力を受けた過去を回想する。時を経て戦後に変わりゆく人々の姿を眺めつつ、苦い青春の記憶を自らの髪の歴史として綴る随筆。
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一
マルセル・パニョルの「マリウス」という芝居に、ピコアゾーという妙な名前の乞食が出て来るが、この人物はトガキによれば「この男年がない」ということになっている。若いのか年寄りなのかわからぬからである。
「してみれば、私もまた一人のピコアゾーではあるまいか。最近の私は自分の名前の上に「この男年がない」という形容詞句を冠せてもよいような気がするのである。年があるということは、つまりそれ相当の若さや青春があるという意味であろう。が現在の私はもはや耳かきですくう程の若さも青春も持ち合せていないことを心細く感ずるばかりである。いや現在といわず二十代の時ですら、私は若さを失っていたようである。私が二十代の時に書いた幾つかの駄小説は、すべて若さがないと言われていた。だから、世間で私のことを白髪のある老人だと思い込んでいる人があったにしても、敢て無理からぬことであった。が私の本当の年齢は今年三十三歳になった許りである。
もっとも私はこの三十三歳を以て、未だ若しとするものではない。青春といい若さといい、結局三十歳までではあるまいか。ウェルテルもジュリアンソレルもハムレットも、すべて皆二十代であった。八百屋お七の恋人は十七歳であったと聴く。三十面をさげてはあのような美しい狂気じみた恋は出来まいと思われるのである。よしんば恋はしても、薄汚なくなんだか気味が悪いようである。私の知人に今年四十二歳の銀行員がいるが、この人は近頃私に向って「僕は今恋をしているのです」と語って、大いに私を辟易させた。相手の女性はまだ十九歳だということである。私は爬虫類が背中を這い廻るような気がした。恋は二十代に限ると思う。