芝居見の芝居知らず
本文約3,200字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
芝居通を自認する著者が、歌舞伎鑑賞の経験や役者との向き合い方を綴る。劇場の興行形態の変化や、役者個人の芸の継承について考察し、ベテラン役者の個性を生かした一世一代の「出し物」の重要性を提言する。また、特定の役者の芸風や、観客が芝居を通じて古き伝統や生活の機微を見出している点に触れ、演劇文化の保護と鑑賞のあり方、そして歌舞伎界全体の演出や興行の将来について独自の視点から論じる。
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月々、多かれ少かれ芝居は見る。子どもの時からの癖が、まるで脅迫観念になつてゐる様だ。芝居茶屋や、出方に頼んだ頃は、少々いらぬ入費もかゝつたが、扨其が改良せられた今の興行法では、一度の見物にも、手数がかゝつて為方がない。前売り切符だの、ぷれいがいどなどは、便利に見えるのは、金のかゝらぬと言ふ点だけで、却て手数が多くかゝる様になつた。幾十年興行者の為に御奉公してゐても、特別の関係のない私どもには、からだを動かさねば、よい場を占めることが、愈むつかしくなつて来る。そんな苦労をしながら見るほどの芝居ばかりでもないに拘らず、土間の椅子に腰をおろすと、何だか、世間や家の生活と違うた安堵が湧いて来る。性根場になるまでは、舞台から目を外してゐると言つた通人には勿論なれない。幕開きの「しだし」の出入り・せりふを聞き外しても残念に思ふ位だ。だから、年をとる程、芝居の見物が、勉強の重荷になつて来た。其でも、見に行く。金の乏しい自分も、見たさを唆る狂言の出る時や、安心して見られる役者の出し物がある場合などは、とりわけ却て行きたくなる。
役者をひいきすると言ふ事も、いろ/\あるが、ぱとろんとしての誇りを衒かすことも出来ず、又、好色に泥んで縁の下の力持ちをする気にもならぬ。さう言つた役者びいきが随分あると思ふ。ある役者の芸に対する鑑賞法が、自分に出来てゐると感じる場合である。従うて其役者の芸能は、何時も失望なく、わが生活にとりこまれると言ふ予期と信頼とが持てる。かうした役者が、数名も揃うてゐる場合には、どんなに幸福な気持ちを、まづ持つか知れない。さうした役者の一人が出る興行にも、やはりその専任の一場に望みをかけて行く。さうした役者が、もう頽齢になつてゐると、一度でもよく心に印象して置きたいといふ気になる。