書について
本文約2,500字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
書道ブームに伴う無性格な悪筆の横行を背景に、伝統的規範に根ざした造型芸術としての書の在り方を論じる。書を学ぶことは単なる手習いではなく、比例や均衡といった造型美の根源を探究し、絵画や彫刻に通じる造形意識を養う行為であると説く。また、先人の名筆を模倣するだけの安易な姿勢を戒め、人工的修練と自然な性格の現れが調和した、無理や無駄のない高雅な書の本質について考察を綴る。
💰 この本を応援する(投げ銭)
この頃は書道がひどく流行して来て、世の中に悪筆が横行している。なまじっか習った能筆風な無性格の書や、擬態の書や、逆にわざわざ稚拙をたくんだ、ずるいとぼけた書などが随分目につく。
一
絶えて久しい知人からなつかしい手紙をもらったところが、以前知っていたその人の字とは思えないほど古法帖めいた書体に改まっている、うまいけれどもつまらない手紙の字なのに驚くような事も時々ある。しかしこれはその人としての過程の時期であって、やがてはその習字臭を超脱した自己の字にまで抜け出る事だろうと考えてみずから慰めるのが常である。やはり書は習うに越した事はなく、もともと書というものが人工に起原を発し、伝統の重畳性にその美の大半をかけているものなので、生れたままの自然発生的の書にはどうしても深さが無く、その存在が脆弱で、甚だ味気ないものである。
二
この生れたままの自然発生的な書というものにもいろいろあって、生れながらに筆硯的感覚を多分に持っている人のは、或る点まで立派に書格を保有し、無邪気で、自然で、いい加減な習字先生のよりも遥に優れたものとなる。そういう例は支那人よりも日本人に多く、いつの間にか、性格まる出しの、まねてまねられない、或は奇逸の、或は平明清澄の妙境に進み入り、殊に老年にでもなると、おのずから一種の気品が備わって来て、慾も得もない佳い字を書くようになる。