本文へ移動
TORENDIA

装幀について

本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

装幀美の極致を比例に見出す著者が、装幀の本質的な在り方を論じる。装飾過多な文化や風俗の無駄を批判し、書籍の装幀もまた実用的な必然性に基づいた純粋な比例の美へと蒸留されるべきだと説く。絵画的な装飾や悪趣味な体裁を排し、比例の洗練によって構成される真の美しさを書店の店頭に求めるべきだと主張し、近代日本の書籍出版が到達すべき審美的な到達点を綴る。

高村光太郎

速度
🎧 装幀について / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 2

装幀美の極致は比例にあるといふのが私の持論である。尤も此は装幀に限らない。一般人事の究極は、すべて無駄なものを脱ぎすて枝葉のばかばかしさを洗ひ落し、結局比例の一点に進んではじめて此世に公明な存在の確立を得るものと考へてゐる。比例は無限に洗錬され、無限に発見される。比例を脱した比例が又生れる。人はさうして遠い未来に向つて蝉脱を重ねる。

此頃はよく実写映画といふものがあつて、諸所の野蛮人の生活が見られる。それを見る度に、身の毛もよだつやうに恐ろしく感ずる事は、如何に彼等が無駄の多い生活をして居るかといふ事である。文身、偶像、面倒くさい儀礼、そんな事はまだ物の数でもなく、装飾のつもりで、耳朶へ孔をあけて大きな金属の輪をざくざくと通したり、皮膚へ疵をつけてみみずばれの紋様をつくつたり、甚しいのになると上下の唇を引きのばして茶盆ほどの木の円盤を嵌めこんだりする。当人達が大まじめでやつてゐる祭礼の仮面舞踊などのグロテスクさはただ呆れるばかりだ。それは悉く一地方的に歪曲された人間の審美に落ちこんだ結果であらうと推理する外はない。所謂井中の蛙は全般を見ない。凝れば凝るほど無駄をする事があり勝ちだ。

この事は野蛮人に限らない。ルイ王朝のでこでこ服装、隣国に於ける昔日の纏足、それから十二単衣、立兵庫、大礼服、シルクハツト皆同類である、およそ純粋比例に目ざめない文化の結果する所は皆野暮である。もとより野蛮人の文身をはじめシルクハツトに至るまで、それぞれの環境中にそれぞれの美を十分に持つてゐないのではないが、ただその美が如何にも御苦労さまなだけである。

高村光太郎の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本