TRENDIA CLASSIC

茶話

薄田泣菫

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堪忍といふ事9・1 苦楽

むかし、ある物識りが、明盲の男を戒めて、すべて広い世間の交際は、自分の一量見をがむしやらに立てようとしてはいけない、相身互ひの世の中だから、何事にも、

「堪忍」

の二字を忘れてはならぬと話したことがありました。すると、明盲の男は不思議さうに頭をかしげて、

「お言葉ですが、堪忍の二字とおつしやるのは何かの間違ひではございますまいか。

『かんにん』

と申すと、丁度四字になるやうで……」

と、自分の指を一つづつ四本折つて見せました。

物識りの男は、可笑しさに噴き出したくなるのを堪へて、

「いや、違ふ。堪忍とは、『たへしのぶ』と訓んで二字で出来てゐるのだ。」

と言つて、聞かせました。

すると、聞いてゐた男は指を折つて数をよみながら、一層腑に落ちなささうな顔をしました。

「たへしのぶ――なら、また一字殖えて五字になりましたが……」

相手が余りわからないことを言ふので、物識りの男はむつとしました。その気色を見てとつた明盲は、にやにや笑ひながら、

「ともかくも、堪忍は四五字と心得まして、その四五字を忘れぬやうに心掛けませう。いや、ありがたうございました。」

と、お辞儀を一つしました。

物識りは赫となりました。

「まだ四五字だと強情を張るのか。貴様のやうな馬鹿者はとても手におへん。狗と同じだ。いや、猫だ。蟷螂だ。もうこれからは一切構ひつけぬから、勝手にするがいい。」

火のやうに真赤な相手の顔を見上げて、一人は端然と控へたままで、

「どんなに悪口を吐かれようと、一向腹は立ちません。こちらは堪忍の四五字を心得てゐますからな。」

と、冷やかに言つたといふ話があります。

柳里恭といへば、聞えた遊び好きの拗ね者ですが、この人は京都から大阪へ遊びに来るのに、いつも夜船に乗つて淀川を下つて来ました。そして帰りにもきつと夜船を選ぶことにきめてゐました。ある人がその理由を訊くと、里恭は急に真面目な顔になつて、

「あれは堪忍の修業を重ねたいからぢや。」

と答へたさうです。

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