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TORENDIA

春雨

本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

視覚を失った箏曲家である著者が、触覚や聴覚をとおして絵画や風景をどのように感受するかを綴る。梅原氏の絵を指先でなぞりながら幼い日の記憶を呼び起こす様子や、耳にした鶯の鳴き声に寄せて内田百間との交流を振り返る。現実の光から遠ざかった著者が、雨の音や鳥のさえずり、仏像の感触といった感覚から春の朝ののどけさを捉え、心に広がる独自の光景や音楽的な世界観を穏やかな筆致で描く随筆である。

宮城道雄

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🎧 春雨 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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家の者が、「座右寶」に梅原氏の絵が出ていると言うので、私はさわらせて貰った。さわってみても私に絵がわかる筈はないが、それでもやはりさわってみたい。いろいろと説明を聞きながらさわっている中に、子供の時に見た絵を想像した。

子供の時に見た絵を思い出してみると、主に人物で、景色の絵などはかすかである。私の前にお膳があるとか、茶碗がのっているとか、火鉢があるということがわかると、みんな見えているように思うが、それが昔見た想像である。しかし、さわってみてもあまり見当は違っていない。

月とか、花とか、景色なども、少し見えていた子供の時のことを、今ではかえって美しく想像する。

よく人が、盲人は真暗のように思っているが、それは少しでも見えることで、私には暗いのも見えなくなっているので、結局、明るくもなく、暗くもなく、なんにもないことになる。

こうして現実の光から遠ざかった私は、耳で聞いたり、手に触れたりする感覚によって、また見る世界を想像するのである。

何時であったか、増上寺のお霊屋で、全国から集った婦人の髪の毛を、一本ずつ織りこんで浮きだしたようになっている極楽の絵をさわってみて、深く感じたことがあった。

フランスのドビッシーは、日本の絵を見ていろいろ作曲されたといわれている。また昔、ある絵かきが、の弾く箏の音色を、隣りの間で聞きながら、絵を描いたとかいう話を聞いた。私は耳できいて、絵のようなものを感じるのである。また私は仏像や、その他いろいろの物をさわって楽しむ。それが冬の寒い時など、細かなところをさわるのに、指先の感じがにぶるので、火にあぶったり、摩擦したりして、撫でるのであるが、それが暖かくなると、らくらく指先に感じる。

嬉しいことには、今年も早や、春が訪れて、つい、二三日前から、家の庭に鶯が来て、しきりに囀っている。

或る朝、私が眼を醒ますと、春雨のしとしと軒を打つ音が聞こえて、すぐ横の障子の外の方で、鶯の声が続けさまに聞こえた。あまりしきりなく聞こえるので、二匹が掛合に囀っているのかとも思った。

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