名古屋の小酒井不木氏
本文約2,400字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
名古屋市の寵児であった小酒井不木は、多方面の交友関係を持ち、連日の来客や会合への出席に忙殺される日々を送る。タクシー運転手にまで広く名を知られるほどの名士でありながら、自身の執筆活動や病身を抱えた生活を律していた。理性的で親切な人柄ゆえに多くの人を惹きつけ、深い懐の深さと鍛錬された精神で周囲と接した。本作は、著者との交友や日常の挿話を通じ、その多才な人物像と人間味あふれる人となりを綴る。
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故小酒井不木氏は名古屋市に於ける寵児であった。あらゆる会合へ引っ張り出され、さまざまの講演会へ引っ張り出され、驚くばかりに多方面の人に、訪問をされ、氏に於いてもいろいろの人を訪ねた。新愛知新聞社や名古屋新聞社や、名古屋毎日新聞社などでは、氏を殆ど引っ張り凧にした。かと思うと氏は素人の芝居などの、舞台監督をやられたり、キャフェーへ出かけて談笑したり、諸方面の歓迎会や送別会などへ、常に出席をして倦まなかった。東京その他の方面から、名古屋市へ来た文人や俳優や、学者や雑誌編集者などは、一度は大概氏の家を訪うた。そうして一度訪うた者は、その後必ず訪問した。
わけても此処数年間は、出歩き詰めであったようであり、来訪者に忙殺されたようであった。驚く可きことはタクシの運転手などが、氏の家を大概知っていて、私などが市中でタクシを漫然と拾って、氏の町名番地を云うと「ああ不木先生のお邸ですな」と、運転手の方で云う程であった。多くの人がタクシに乗って、氏を訪ねる証拠といえよう。
「あなたの所はヤスナヤ・ポリヤナですな」
と、私は冗談に云った程であった。
かくも氏が名古屋に於て寵児となったのは、趣味が多方面であり、話が聞き上手であり、性質がさっそくであって渋滞せず、感情的で無くむら気でなく、理性的であって親切であり、絶対に信頼される人――そういう人であったからであろう。
一晩の中に三ヶ所の会合へ列席したことさえあった。
「そう出歩いたり来訪者ぜめにされて、何時原稿を書くのです?」と一度私は訊いたことがあった。すると氏は、
「夜中です」と答えた。
「その病気で、夜中などに原稿を書いてよいのですか?」
「何時書いても同じです」
「睡眠不足になりませんか?」
「眠りは昼でも取れます」
「しかし昼間の眠は浅くて不為めだということですが?」
「そんなことは有りません。そんなことを思って無理にも夜間眠ろうとすると却って睡眠不足になります」
氏はあの病体で徹夜さえした。
氏が客を好み、談話を好む好一例を私自身経験した。
一夜私は氏の家を訪うた。と、すぐ書斎へ通された。折柄氏は夕飯中であったが直ぐ書斎へ出て来られ、