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TORENDIA

私の顔

本文約1,000字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

並べた写真に写る様々な自分の顔を見つめ、撮影時の気分や相手への配慮が表情に及ぼす影響を考察する。かつて十五歳の正月に友人らと撮った自然な一枚を懐かしみつつ、撮影者の視点や趣味が被写体の印象を左右する写真の本質に言及する。当世流の修正に違和感を抱きながらも、波を切る海豚の写真のような、ありのままの美しさが巧みに表現された自身の顔を写真の中に捉えたいという願いを綴る。

長谷川時雨

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🎧 私の顔 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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寫眞を出して並べたわたくしの顏は、どれもこれも、みんな違つてゐる。それは、自分の顏であるから、見違へるわけはないが、體つきと、着物と、髮の具合をとりかへたらばちよいと自分でも分明らなからうと思ふのさへある。

その時の氣分がこんなにムラなのかしら、と、反省させられるのだが、わたしはバカで、どうも、種々なことが、うちむかう人の氣分を察しすぎて、やりきれないほど疲勞びれてしまふのが癖で、そのあとで寫すと、屹度影響してゐるのでもあるだらう。

で、誰しもがさうであらうが、朝起きた時とか、机にむかつてゐる時とかが、ほんとの自分の顏であると思ふが、寫眞には、殆どその顏がない。かつて、十五の歳の新春、友達と妹と四人で、金三十錢で手札形三枚の早取り寫眞をうつしたことがある。十五島田といつて、なんでも十五歳の春の三ヶ日のうちに、島田髷の初結ひを一度しておかなければいけないといふ古い習慣で、島田をのつけた子供の顏であつた。肩揚げも深く、前掛けをかけた平日着のままで、家のものは知らなかつたのだから、ありのままの顏が寫つてゐた。二人の友達が一枚づつ、わたしと妹とがあとの一枚をもつた。こんな氣に入つた寫眞はなかつたのだが、失つてしまつた。一人の友達は早く死に、一人の友達は別れて逢はず、その人も多分震災にあつたであらうし、古い古いことだから持つてはゐないであらう。小さな寫眞屋は、とつくにつぶれてしまつてゐる。

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