花火の夢
本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
両国の花火の記憶を綴る。著者は幼少期に屋根へ落ちた巨大な日章旗を掴んだ経験や、火薬の音が町に響く両国の花火の情景を回想する。また、船上で見る花火の不便さや、見物人の間を縫って品物を売るうろうろ船の様子、打ち止めの虎の尾への愛着など、花火にまつわる多岐にわたる思い出を描き出す。
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花火で忘られない記憶は、私の家の屋根へ風船の付いた旗の落ちたことだ。「落ちてゐた」といつた方がいゝかもしれない。旗はガンピの日章旗で、畳三畳敷位ゐの大きさであつたらう。これに相当大きな風船と、細長く紙を幾重にもたゝんで出来た旗竿が付いてゐた。旗竿の部分には鉛がところどころに綴込んであつた。――これが私の見てゐる前で、私の家の屋根瓦へすれすれについて、くにやりと曲がつた時には、私はその一端をしつかとつかまへて、有頂天になつた。あれ程純粋に嬉しかつた「嬉しさ」は、ジンセイに余り類の無いものかもしれない。
私は両国の花火は子供の頃ずつとそのすぐそばにゐたので、却つて船で見たことはない。よく「ズドン、バリバリ」といふことをいふが、すぐそばで揚がる花火はこの言葉の通りで、殊に、あとの「バリバリ」が爽快を極める。火薬の破裂音が空に反響して、これが上から手をひろげて掴むやうに二三町四方の真下の町へ蔽ひかぶさるためであらう。毎年花火の日は、昼間、第一発の、この「バリバリ」が始まつたが最後、もう、ゐても立つてもゐられない。――一度は(ぼくは幼年のことだつたが)川は花火の真最中に、両国橋の欄干が落ちて、家では兄貴の安否を気づかつて大変だつたといふことだが、兄貴はその時、外にはゐたが、橋にはゐず、大川端の水練場にゐたので無事だつた。
ぼくは寧ろその日の騒ぎよりは、その明くる日の両国橋の事を覚えてゐる。多分ひとに連れられて見に行つたものだらう。橋際の川の中の砂の出た処に、下駄や草履が一杯、山になつてゐた。