本文へ移動
TORENDIA

辻の立ち咄

本文約1,300字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

夏祭浪花鑑や伊勢音頭恋寝刃などの歌舞伎演目を取り上げ、芝居における役者の解釈や登場人物の性根について論じる。浄瑠璃と舞台演出との差異や、特定の役が持つ人物像の深掘りを通じ、江戸と上方の芝居風土の違いや、演者による性格造形の影響を考察する。また、貢やお鹿といった人物の心情描写を分析し、歌舞伎に見られる人間性の真髄や、観客が抱くべき深い共感のあり方について綴る。

折口信夫

速度
🎧 辻の立ち咄 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 2

夏めいて来ると、祭りに狂奔した故郷の昔が、思ひ出される。其と一続きに、きつと浮んで来るのは、浄瑠璃から出た「夏祭浪花鑑」といふ芝居である。あんな戯曲の上にも、大阪と東京との違うた、昔の姿が見えて居る。人物の性根が、語り物と舞台とでは、よつぽど違ふ。役者の上方出と、関東生れとで、理会が変つて居る。一寸徳兵衛は、乞食をした男である。其が一般に、すつきりしたたて衆らしい演出をするのは、江戸役者の侠客観が、多分に含まれて来たのである。

如何にも、市井の無頼らしい感激と、虚栄とに、鋭い刹那をひらめかす九郎兵衛は、ぼてふりの肴屋である。小博打うちの喧嘩ずきで、五六年前までは、紀州海道の往還で、袖乞ひをした宿なしであつた。其が、いんちき・いかさまの厭な年よりに拾ひ上げられて、その家の娘に狎れて夫婦になつた、と言ふはしにも杭にもかゝらぬ「町裏の人」である。にも拘らず、今もする関東の九郎兵衛は、貸し元とでも言ひ相な長脇ざしの感じを持つてゐる。此は明らかに、解釈が違うてゐる。もつとやぼで、ねつとりして、而も手ざはりの荒い処がなくてはならぬ。其点では、河内屋といふ役者などは、すゐでも、いきでも、いなせでもない多くの大阪びとの、よそ人には考へられて居ない素質を、最豊かに舞台の上に表現の出来る人である。

折口信夫の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本