釘抜藤吉捕物覚書
本文約14,700字 ・ 読了時間 約30分
あらすじ(AIが作成しました)
江戸の本所、水戸様の石揚場にある番所で暮らす惣平次夫婦と息子の庄太郎は、嵐の夜に久住希十郎という浪人を迎える。数日後、庄太郎が姿を消し、異様な竜の手が残された。惣平次は百両の代償に過ちを犯した事実を抱え、妻のおこうと共に竜の手へ祈りを捧げる。七日後の嵐の夜、庄太郎の帰還を告げるかのように戸が叩かれるが、惣平次が最後の願いを叫んだとき、番所の前には誰の姿もなかった。
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一
ひどい風だ。大川の流れが、闇黒に、白く泡立っていた。
本所、一つ目の橋を渡りきった右手に、墓地のような、角石の立ち並んだ空地が、半島状に、ほそ長く河に突き出ている。
柳が、枝を振り乱して、陰惨な夜景だった。三月もなかば過ぎだというのに、今夜は、ばかに寒い。それに、雨を持っているらしく、濡れた空気なのだ。
その、往来からずっと離れて、水のなかへ出張っている岸に二階建のささやかな一軒家が、暴風に踏みこたえて、戸障子が悲鳴を揚げていた。
腰高の油障子に、内部の灯がうつって、筆太の一行が瞬いて読める――「御石場番所」
水戸様の石揚場なのである。
番所の階下は、半分が土間、はんぶんが、六畳のたたみ敷きで、炉が切ってある。大川の寄り木がとろとろ燃えて、三人の顔を、赤く、黒く、明滅させている。大きな影法師が、はらわたの覗いている壁に倒れて、けむりといっしょに、揺らいでいた。
番小屋のおやじ惣平次と、ひとり息子の庄太郎とが、炉ばたで、将棋をさしているのだ。母親のおこうは、膝もと一ぱいに襤褸を散らかして、つづくり物をしながら、
「年齢はとりたくないね。針のめどが見えやしない。鳥目かしら――。」
ひとりごとを言いいい、糸のさきを噛んだ。
いきなり惣平次が、白髪あたまを振った。癇癪を起したのだ。盤をにらんで、ぴしりと、大きな音で、駒を置いた。
「えれえ風だ。吹きゃあがる。吹きゃあがる。風のまにまに――とくらあ。どうでえ庄太、この手は。面ああるめえ。」
「庄太、しょた、しょた、五人のなかで――。」
庄太郎は、「酔うた、酔た、酔た」をもじって、低声に唄った。持ち駒を、四つ竹のように、掌の中で鳴らした。
そして、炭のように黒いであろう戸外の闇を、ちょっと聴くような眼つきになって、
「なあに――。」
「おっと! こりゃあ! いや、風にもいろいろあってな、吹けよ、川風、上れよ、すだれ、の風なんざあ粋だが――おい、庄太、手前、砂利舟は、しっかり舫ったろうな。」
惣平次は、いま打った駒で、取り返しのつかなくなった盤面を庄太郎に気づかれまいとして、何げなく、ほかの話をしかけて注意を外らすのにいそがしかった。