翻訳製造株式会社
本文約6,200字 ・ 読了時間 約13分
あらすじ(AIが作成しました)
現代の日本で横行する翻訳文学の大量生産について論じる随筆。著者は、原文を無視して独断で訳す気分訳や、一字一句を直訳する逐字訳などの手法が、資本家と文人に利益をもたらす一方で、文化に対しては有害であると指摘する。翻訳は版画のように原作の細部を伝え得ない不完全なものとし、安易な翻訳物に頼らず、可能な限り直接原文に接することの重要性を説く。
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器械を一とまはしガタリと動かすと幾個かの字が出て来る、また一とまはしガタリと動かすと、また幾個かの字が出て来る、幾度かそれを繰りかへして居ると、沢山の字が集つて来るから、それを並べると、立派な学問が出来上る。これが誰れでも知つて居るガリヴア巡島記で、スヰフトが書いて居るラガトオの大学の記事である。が、これにも増して容易にまた簡単に出来るのものは今日の吾が翻訳である。西洋のある名ある書物を始めて翻訳するのは、可なり骨の折れる仕事であるが、ナニそれでも少し根気よく器械でも動かす積りでやれば、ぢきに出来る。その翻訳が一つ出来上がれば、あとはわけなしで、ラガトオ市の大学で器械を動かすよりも手軽に出来る。凡そどんな翻訳にだつて文句をつけて、つけられないのはないのであるからその一つ、出来上つた翻訳に少し間違でも見つけたら、それを大袈裟に吹聴して、それから大体の他の部分にも筆を入れて、前のより少し下手にすれば、それで沢山なのである。下手と云つて悪ければ、前のよりは解らなくするのである。かういふ風にして拵へて行けば、翻訳なんてものはいくらでも出来る。かういふ風にして翻訳を作り出す所を私は有限責任翻訳製造株式会社といふ。さういふ翻訳では原文に忠実でないとか、原文の意に反するなんて云ふものもあるが、それは甚しい愚論で、そんな事は決して顧慮すべき事でない、そんな事を顧慮するのは無益といふよりも却つて有害である。何となればそんな事を云つて居ては、却つて文化の普及を阻害するからである。