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TORENDIA

蠅

本文約2,600字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

都会を離れ田舎で暮らす田中氏は、過去の涜職事件の記憶と悪夢に苛まれながらも、妻との関係を見つめ直していた。社会に対して失望を抱き、人間社会を陰惨なものと感じる日々の中、精神的な救いを求めて読書や思索を重ねる。ある時、部屋に入り込んだ一匹の蠅に気を取られた田中氏は、執拗に追いかけ、最終的にその蠅を打ち落とす。自身の内面的な苦悩や虚無感と対峙する中で、何気ない日常の出来事が田中氏の精神の揺らぎを浮き彫りにする。

原民喜

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🎧 蠅 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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秋も大分深くなって、窓から見える芋畑もすっかり葉が繁った。田中氏は窓際の机に凭って朝食後の煙草を燻して、膝の上に新聞を展げてゐた。さうしてゐると、まだ以前の習慣が何処かに残ってゐるやうで、出勤前のそはそはした気持になるのだった。

今、湯殿では妻が洗濯してゐる音が聞える、彼は不意とその方へ声が掛けたくなる衝動を抑へて、静かにぢっと耳を澄ました。すると気の所為か、妻は時々何か思案しながら洗濯してゐるやうに思へる。妻が何を考へてゐるのか、田中氏にはぼんやり解るやうな気もした。さう云へば二十と何年も一緒に暮してゐながら、今度のことがあって始めて妻の気持にも彼は段々関心を持つやうにされたのだった。二三日前、妻は彼がまだ寝てゐる枕頭に来て、ひそひそ泣いて、今更のやうに子供が欲しいと云ひ出した。やはり住み馴れた都会を離れて田舎の静かな処へ来ると、さう云ふ気持もするのかも知れない。彼ももう一度生れ変ってみたい念願が時々生じるのだが、社会に対してすっかり見切りをつけてしまった筈なのに、どうしてそんな馬鹿な野心が湧くのか不思議でもあった。しかし隠居してしまふにはまだ少し若かったし、何もしないでゐると却って早く死が追って来さうな妄想が湧くので、静かな暮しのなかにも憔慮が絶えなかった。

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