火に追われて
本文約5,000字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
地震を人一倍恐れる著者が、大正十二年九月一日に直面した関東大震災の記録。地震の強震と繰り返される余震に翻弄されながらも、当初は自宅周辺の被害の少なさから火災への警戒を緩めていた。しかし、次第に近隣まで猛火が迫り、刻一刻と避難の切迫した状況へと追い込まれていく過程を綴る。逃げ惑う人々の様子や、少年時代の記憶が脳裏をよぎる中、ついに家を捨てて避難を余儀なくされるまでの緊迫した体験を描く。
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なんだか頭がまだほんとうに落ちつかないので、まとまったことは書けそうもない。
去年七十七歳で死んだわたしの母は、十歳の年に日本橋で安政の大地震に出逢ったそうで、子供の時からたびたびそのおそろしい昔話を聴かされた。それが幼い頭にしみ込んだせいか、わたしは今でも人一倍の地震ぎらいで、地震と風、この二つを最も恐れている。風の強く吹く日には仕事が出来ない。少し強い地震があると、またそのあとにゆり返しが来はしないかという予覚におびやかされて、やはりどうも落ちついていられない。
わたしが今まで経験したなかで、最も強い地震としていつまでも記憶に残っているのは、明治二十七年六月二十日の強震である。晴れた日の午後一時頃と記憶しているが、これも随分ひどい揺れ方で、市内に潰れ家も沢山あった。百六、七十人の死傷者もあった。それに伴って二、三ヵ所にボヤも起ったが、一軒焼けか二軒焼けぐらいで皆消し止めて、殆ど火事らしい火事はなかった。多少の軽いゆり返しもあったが、それも二、三日の後には鎮まった。三年まえの尾濃震災におびやかされている東京市内の人々は、一時仰山におどろき騒いだが、一日二日と過ぎるうちにそれもおのずと鎮まった。勿論、安政度の大震とはまるで比較にならないくらいの小さいものではあったが、ともかくも東京としては安政以来の強震として伝えられた。わたしも生れてから初めてこれほどの強震に出逢ったので、その災禍のあとをたずねるために、当時すぐに銀座の大通りから上野へ出て、更に浅草へまわって、汗をふきながら夕方に帰って来た。そうして、しきりに地震の惨害を吹聴したのであった。その以来、わたしに取っては地震というものが、一層おそろしくなった。わたしはいよいよ地震ぎらいになった。したがって、去年四月の強震のときにも、わたしは書きかけていたペンを捨てて庭先へ逃げ出した。