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TORENDIA

皇海山紀行

本文約11,700字 ・ 読了時間 約24分

あらすじ(AIが作成しました)

皇海山への登頂を計画した著者が、晩秋の天候不順に悩まされながらも入山する様子を描く。本書は、古文書や地理書を紐解きながら、座句山や笄山と呼ばれた当該山の名称の変遷や、誤伝される瀑布の真実を論じる。また、道中で笹原に難儀し、方角を見失いながらも庚申山や鋸山を経て下山するまでの行程を克明に綴る。古地図との照合を通して山岳の歴史を紐解きつつ、厳しい自然環境における山歩きの実態と登頂の体験を詳述する紀行文である。

木暮理太郎

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降りがちな天候は、十一月に入ってもからりと晴れた日は続かなかった。ことに土曜から日曜へかけてはよく降った。この意地悪い雨のために出鼻をくじかれて、出発はもう予定より三週間も遅れてしまった。これがもし紅葉見物を兼ねての旅であったならば、目的の一半は既に失われた訳であるが、皇海山に登ることが主眼であったから、秋の旅とはいえ、紅葉の方はどうでもよかったのである。ただ余り寒くなって山に雪が来ては困ると思った。

皇海山とは一体何処にある山か、名を聞くのも初めてであるという人が恐らく多いであろう。それもそのはずである。この山などは今更日本アルプスでもあるまいという旋毛まがりの連中が、二千米を超えた面白そうな山はないかと、蚤取眼で地図の上を物色して、此処にも一つあったと漸く探し出されるほど、顕著でない山なのである。自分も陸地測量部の男体山図幅が出版されて、始めて「皇海山、二千百四十三米五」ということを知った。そしてその附近には二千米を超えた山がないのを見て、これは面白そうだと喜んだ。勿論かく喜んだのは自分一人ではなかったであろうと想われる。

しかし実際展望したところでは、この山はかなり顕著なものである。その当時他の方面は知らなかったが、南から眺めると、上州方面で根利山と総称している袈裟丸山の連脈の奥に、左端のやや低い凹頭を突兀と擡げているので、雪の多い季節には場所によっては、時として奥白根と間違えられることさえあった。東京市内の高い建物や近郊の高台から、この山が望まれることはいうまでもない。もっともそれが何山であるかは知るを得なかったが、五万分の一の地形図が刊行されて、皇海山に相当することが判然したのである。

しかし古い図書には皇海山の名は記載してない。正保図には利根勢多二郡及下野との境に「さく山」と記入してある。貞享元年九月二十九日の序ある古市剛の『前橋風土記』には、山川部の根利諸山の項に、

座句山 栂原山也気乃曾里縁魔乃土也以二山巓一為レ界、自二峰巓一以南都属二干根利一。

砺砥沢 在二座句沢南山谷之中一、多二砺砥一。

座句沢 在二砺砥沢北一而隔レ山沢水西流合二片品川一。

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