峠
本文約4,400字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
峠という語の語源、峠に相当する坂や越えといった諸概念の変遷と関係を論じる。山脈や丘陵を横断する通路の最高所を示す峠が、本来「たむけ」の音便であり、古くから地形や山道にまつわる様々な名称で呼ばれてきたことを文献や地名から考察する。また、日本の山国における峠の多さとその分布、中国や朝鮮半島における同様の概念との比較を通じて、峠という呼称が持つ意義やその成立の背景を学術的に記述する。
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一
峠は「たむけ」の音便であるといわれている。そしてそれが山脈又は丘陵を横断する通路の最高所に与えられた名であることは、峠路即ち上り下りの路を坂と呼んでいることから推して疑いないようである。峠への上り口に坂下或は坂本又は坂元などいう地名のあることは、峠路を坂と称したことを語っているものであろう。つまり坂は道路に相当な或はそれ以上の勾配のある処をいい、其頂上が即ち峠である。俗に物ごとの終りに近付いたことを「峠が見えた」というのはこれに由来するもので、登山路の途中にある急峻な箇所に、特に美女坂、材木坂などの名があるのは登山路をも広義の道路と同じに見做したからであろう。しかし今は昔と変って峠といえば、寧ろ上り下りの路を主とするようになってしまった観がある。峠の頂上という言葉が生じたのはこの為であろう。
峠という国字が作られたのは、いつの頃であったか私は知らないが、たむけがたうげとなったのは可なり古い時代からであるらしい。『堀川院百首』には、
あしからの山の手向にいのれともぬさとちりかふはな桜かな
あしからの山の峠に今日きてそ富士の高根のほとは知らるゝ
という二首の歌が載っている。後者の峠の字は、「たうけ」と仮名書きにした本もあるから、恐らく後の人が書き替えたものであろうと思う。とにかく其頃既に「たむけ」が音便で「たうげ」といわれていたことを証するものである。
峠という字は形の上から見ると、現に吾人が抱いている観念と同じものをかたどったものであるようにも思えるし、又昔の人の観念をかたどったものであるように思えぬこともない。これは当の作字者を地下に喚び起して、其説明を聞かなければ判然しないことであるが、本来たむけの音便であるたうげに宛てたものであるならば、作字者の意図はどうあろうと、矢張り山稜横断路の最高所を指すものと見てよろしかろう。