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TORENDIA

矢はずぐさ

本文約14,600字 ・ 読了時間 約30分

あらすじ(AIが作成しました)

大久保の家に身を寄せた元芸者の八重との日々を綴り、男女の情愛や人生の哀歓を論じる。かつての新橋での生活から妻として献身する現在の姿に至る八重の歩みと、彼女から教わった薬草である矢筈草の記憶を辿る。病弱な身で老いを感じる著者は、些細な日常の営みに宿るささやかな幸せを噛みしめる。本書は、芸者という存在の生き方や女性のあり方を考察しつつ、自身の半生を重ね合わせて執筆された随筆である。

永井荷風

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1 / 20

一

『矢筈草』と題しておもひ出るままにおのが身の古疵かたり出でて筆とる家業の責ふさがばや。

二

さる頃も或人の戯にわれを捉へて詰りたまひけるは今の世に小説家といふものほど仕合せなるはなし。昼の日中も誰憚るおそれもなく茶屋小屋に出入りして女に戯れ遊ぶこと、これのみにても堅気の若きものの目には羨しきかぎりなるべきに、世の常のものなれば強ひても包みかくすべき身の恥身の不始末、乱行狼藉勝手次第のたはけをば尾に鰭添へて大袈裟にかき立つれば世の人これを読みて打興じ遂にはほめたたへて先生と敬ふ。実にや人倫五常の道に背きてかへつて世に迎へられ人に敬はるる卿らが渡世こそ目出度けれ。かく戯れたまひし人もし深き心ありてのことならんか。この『矢筈草』目にせば遂にはまことに憤りたまふべし。『矢筈草』とは過つる年わが大久保の家にありける八重といふ妓の事を記すものなれば。

八重その頃は家の妻となり朝餉夕餉の仕度はおろか、聊かの暇あればわが心付かざる中に机の塵を払ひ硯を清め筆を洗ひ、あるいは蘭の鉢物の虫を取り、あるいは古書の綴糸の切れしをつくろふなど、余所の見る目もいと殊勝に立働きてゐたりしが、故あつて再び身を新橋の教坊に置き藤間某と名乗りて児女に歌舞を教ゆ。浄瑠璃の言葉に琴三味線の指南して「後家の操も立つ月日」と。八重かくてその身の晩節を全うせんとするの心か。我不レ知。

三

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