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TORENDIA

洋服論

本文約5,300字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

明治時代の洋服の導入から大正時代の風俗まで、著者自身の体験や観察を通して日本における洋服の受容と着こなしの変遷を論じる。軍人や役人の制服に始まり、学生服の混同や、扇子の携行、肌着の不適切な露出など、当時の日本人が西洋の礼法を十分に理解せず独自の風習を交えて着用している状況を具体的に指摘する。また、欧米における正しい礼服や帽子の使い分け、仕立ての良し悪しに触れ、真の洋装のあり方を追求する。

永井荷風

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○日本人そもそも洋服の着始めは旧幕府仏蘭西式歩兵の制服にやあらん。その頃膝取マンテルなぞと呼びたる由なり。維新の後岩倉公西洋諸国を漫遊し文武官の礼服を定められ、上等の役人は文官も洋服を着て馬に乗ることとなりぬ。日本にて洋服は役人と軍人との表向きに着用するものたる事今においてなほ然り。

○予が父は初め新銭座の福沢塾にて洋学を修め明治四年亜墨利加に留学し帰朝の後官員となりし人にて、一時はなかなかの西洋崇拝家なりけり。予の生れし頃(明治十二年なり)先考は十畳の居間に椅子卓子を据ゑ、冬はストオブに石炭を焚きてをられたり。役所より帰宅の後は洋服の上衣を脱ぎ海老茶色のスモーキングヂャケットに着換へ、英国風の大きなるパイプを啣へて読書してをられたり。雨中は靴の上に更に大きなる木製の底つけたる長靴をはきて出勤せられたり。予をさな心に父上は不思議なる物あまた所持せらるる事よと思ひしことも数なりき。

○予が家にてはその頃既にテーブルの上に白き布をかけ、家庭風の西洋料理を食しゐたり。或年の夏先考に伴はれ入谷の里に朝顔見ての帰り道、始めて上野の精養軒に入りしに西洋料理を出したるを見て、世間にてもわが家と同じく西洋料理を作るものあるにやと、かへつて奇異の思をなしたる事もありけり。

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