TRENDIA CLASSIC

猫八

岩野泡鳴

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「おい、大将」と呼びかけられて、猫八は今まで熱心に読み耽ってた講談倶楽部から目をその方に転じた。その声ですぐその人だとは分ってたので、心易い気になって、

「いよう、先生!」わざと惚けた顔つきをしてみせながら、「よくこの電車でお目にかかるじゃアございませんか――さては、何かいい巣でもこッちの方にできました、な?」

「なアに、巣鴨の巣、さ!」

「………」それには彼もさっそく一本まいった。が、この時あたりの乗客どもがすべて聴き耳を立ててきたので、彼は今手が明いて引き上げてきた高座のうえの気分をまた自分の心に引きだしていた。そして乗客どもが皆自分のお客のように見えてきたので、ここはやッぱり何とかやり返してやらねばならぬような気になった。「そうでげしょう、な」と、にわかにもっともらしい顔になって、ちょうどこの時顛狂病院の前を自分らの電車が通ってるのをじろりと見て取って材料に入れた、

「巣鴨なんかにゃア、どうせ気違いか猫八のような化け物しか住んでおりませんから、な」

「は、は、はア」と笑った物があるので、彼はこんな場所ででもいつもの手応えを得るには得たが、場所柄を思ってそのうえの軽口をさし控えようとすると、何だかこの口が承知してくれないようにも思えた。

「まア、おとなしくしていなよ」ひそかに自分で自分を制しながら、相手の顔を見ていた。この人は高見といって、一二度ある催しに自分を招いてくれた人で、人のよさそうな黙笑をその少し酔いの出た、そして睡そうなあの顔に続けている。「おい、小奈良の小大仏」と喉まで出たが、朋輩の者でもない人にと思って、ぐッと呑みこんでしまった。それから、さし障りのないと思えた言葉がべらべらと飛びだした。「もう、一杯すみました、な――この不景気に先生はなかなか景気がよさそうじゃアございませんか? 少しあやかりてい、な、――えい? わたくしなぞはこれから自宅へ帰って、やッと――その、な――熱いのにありつけるかと思ってますのでげすが、な、かかアがその用意をしてあるかどうかも分りません」

「は、は、はア!」筋向うに座を占めてこちらを見詰めていた男がまた笑った。

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